いとおかし
耳遠く
おトイレ近い
秋六十路
これは、昨日お友達の投稿に
耳遠く
おしっこ近い
という文章があったから、
ちと包み、
おトイレ近い
秋六十路
と季語を含んで、今を詠んでみました。
耳遠くがゴロがいいから
そうしましたが、
わたくし、まだ耳は達者です。
どちらかというと目が遠くなったかな。
紙を近づけたり、引いたりしながら焦点を合わしています。
が、そのかわり、電球が七色の極彩色を発していることや、
遠くに見える街頭からあんなに綺麗な七色の光が一面に発せられているというのを知ったのはここ三、四年の間に氣づいたこと。
まだ薄暗い朝のお散歩でうっとり見惚れています。
坂道を登れることも
わが足で歩けることも
水が咽ずに飲めることも
未だに食欲旺盛なことも
たくさんの荷物を運べることも
ずうっと声を張って話続けられることも
ほんとに歓びです。
股関節がロックされたら、トイレにさえ行けないし、
咽るとめちゃくちゃ苦しい。
声帯結節が出來、7年くらい前は声を出さないようにドクターストップが掛かったこともありました。
今日はお天氣よく涼しく、公園クラスを清々しいきぶんで終えました。
この野外クラスは雨が降るとできません。
天候よしは有り難いこと。
まして、わたしひとりがいてもクラスは成り立ちません。
そこにみなさんが来てくださることも有り難い。
坂を登れ、荷物を運べ、健脚で、お天氣がよく、電車が止まらず走り、みんなが来てくれる。
これで成り立つのです。
こんなふうに、当たり前ってことはなかったのだと氣づいてきたのも、
おトイレ近い✨
お年頃になったからです。
毎日が新しい発見とワクワクの連続。
痛くても痛くなくても有り難い。
雨が降ってもやんでも有り難い。
坂道を登れなくても登れても有り難い。
無条件の至福が内側にあります。
ましてやたまたま条件が揃う奇跡を体験できるなんて、
なんてしあわせなんだろう。
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