盆は
盆はきつい。
母が亡くなり早12年を過ぎ、父が亡くなり9年が過ぎた。
優しい優しい、ひとの心がわかる柴犬のゆきちゃんが、17歳になる手前でお星さまになり、もう、7年を数える。
玄関には黒い蜻蛉蝶やらバッタが跳ねて、先祖さんが来てくれはったんやと、わたしは挨拶に始まり、短い話をする。
虫たちを完全にご先祖だと思っている。
蜻蛉蝶は母で、バッタはゆきちゃん
この、網戸のぶっとい蝉はよく抱っこしてくれた祖父だと勝手に決めつけて、盆のひとときを小さいときのようになぜか安心して暮らしている。
虫たちはからだが虫だから、やはり心悲しいながらも、亡くなったひとや家族がいる懐かしさでわくわくした。
毎年、8月15日くらいになると、わたしはすぐ泣きそうになる。
明日16日にはみんなまた橋を渡ってしまうから。
ほんとに些細なことで泣きそうになり、いつもダム水面すれすれに水が張っているようだ。
やはり16日はやって来て、火の儀式が始まる。
山に大が、妙、法が、船形が、大が、鳥居が次々に点火されるともう駄目だ!
帰ってしまう。
グリーフケアの書物には、日が経つと悲嘆は経過していくとあったけど、やっぱりきつい。
胸がぎゅっと締まり息がしにくい。
年月が経過しても薄れない残念さや、甘え足りなかった子供の心、あのとき、このとき‥。
17日、夜が明けお日さまが登ると、わたしには役目がある。
耳の大きな尻尾さんの散歩に行くこと。
朝ご飯も食べるし。
神棚には祝詞、お仏壇の線香、お茶にお経。
そんないち日が始まり、憂いを少しずつ動かしてくれる。
亡くなる前の母は子供に戻ったように
父のことを、
「足が痛いゆうてんのに‥‥せえゆわはんのや」
と天国の婆ちゃんか爺ちゃんに告げ口していた。
そういえば、小さい時から母は父のことを毎日毎日わたしに告げ口していたな。
だから、父が嫌だった。
おかあさんを困らせるひとだとずっと思っていた。
おかあさんを守らなくてはならない。
今思えば、わたしは母の心のヤングケアラーだったのかな。
何やそれ!
そんな大袈裟な
と母を悲しませるかな?
今だから親とのことが更に更に視えてくる。
自分の不自由なきもちや、親とはいえ、親も人間だということも。
そして、畳の部屋で幼いわたしを寝かしつけようと、団扇で仰いでくれていた父のことも、みんな覚えている。
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