食と受容
食には思想や心が出る
わたしの父は結婚前、天ぷらと目玉焼きばかりを食べていて、蕁麻疹が出たと母から聞いた。
生前の父もやはり野菜嫌いで、トマトの皮が嫌だとか、菜っ葉は嫌いだとか、漬物以外の野菜は食べない人だった。
アルコールと魚や肉がお決まりのお氣に入り。
仕上げにお茶漬けやうどん、中華そばとなる。
叔母は椎茸、おかずにご飯が食べられないひとで
インスタント生麺のラーメンとお菓子しか食べなかった。
一番下の娘は果物野菜が苦手で、いちご狩りに連れていき、みんなで寄って集って美味しい美味しいと赤いいちごに群がる様子に感化され、ようやくいちごを美味しいと思ってくれた。
以後、一部の果物と一部の野菜を食べられるようになった。
当のわたしはなんでも食べる。
父はからだが弱く養子先のご両親に大事にされていたように思う。
その延長線に食があったのか、食が細いから好きなものしか食べられなかったのだろう。
父はからだを動かす仕事ではなく、通勤以外は自転車や徒歩はないので、やはり食が細かった。
末の娘は、兄に揉まれるでもなく、大事にされたからか、本当に食を選んでいた。
それでも食べてほしいわたしは工夫して野菜を食べさせるべく、煮物に混ぜ込んだり、炒めたり、何とか食べさせたい一心でいろいろとトライした。
でかなりの野菜が克服した。
ほうれん草、レタス、スナップえんどう、きのこ類、玉ねぎ、ネギ類、イモ類全て食べられるようになった。
今から思うに、とことん空腹を味わったことが、彼女にも父にもなかったのではないかと思う。
丸一日何も食べなければ、なんでも格別に美味しい。
食を見ると個人士が見えてくる。
娘に、空きっ腹とことんを経験させてあげられなかった。
だから、親を離れたところで、体験していく娘を陰ながら見守っている。
またそれとは別に、アレルギー、食のトラウマもあると思うが。
チキンラーメンやお茶漬けを見ると父を思い出す。
いちごやなしにぶどう、
ほうれん草のソテーが出ると娘を思い出す。
取留めなく書いているブログ。
父や娘とのコミュニケーションは円滑に行かなかった。
可愛い娘は急にわたしを大嫌いになってしまった。
父は亡くなってしまったが、娘とは……。
娘が食べ物と同じように、いろんな体験やひとを受け入れ、日々一日を楽しめることを切望する。
わたしと母のことはまた違うけれど、母からもがき自立していく時期はそれぞれなのだと思う。
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