プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

執着?


昨夜、夜中に携帯電話のメールにメッセージが入っていて、バタバタしていると、早合点傾向にあるわたしは、


その方の娘さんの


(母が引っ越し……。)


だけが、目に入り、


😫

うわあ、もうT子さんの個人指導に行けなくなるの?


と、かなりショックを受けた。


朝起きても、頭からその言葉が離れない。


犬に

「いやだあ、ショックだあ、

T子さんに、もう逢えないの?」


ほんとにオロオロと、少女のように悲痛な叫びをあげていた。


🌿🌿🌿🌿🌿


なぜ、オロオロするのか?


わたしとT子さんのご縁の中で、

まだ続く関わりを感じるから。


わたしはT子さんと関わる役目が、まだ残っている。


まだまだ伝え、関わる必要

を感じるから、


わたしの立場からではなく、T子さんにとっても、まだ離れるときではない。


今、ばったり訪問しなくなれば、T子さんの姿勢や意欲が維持できるかが、


ほんとうに心配で、


T子さんの笑顔を思い浮かべると、いてもたってもいられなかった。


まだ、果たす役割が残っているとわかるとき、役を終えることは

苦しい。


宇宙調和に逆らうのだから。


✨✨✨✨✨✨


もう一度、出勤前にメッセージをよく読むと、


(引っ越しをするから、12月は休みます。)


という内容だった。


💧早合点はいかんぜよ!


ほっと胸を撫でおろし、個人指導にお邪魔した。


お引越しがスムーズに行くように願いながら帰宅した。


🌲🌲🌲🌲🌲🌲


昔、あるタレントさんが

これからはどうされようと思われますか?


とインビューされ、こう応えていた。


「需要があるうちは、しっかりやりますが、

需要がなくなれば、それはそれで、新たな道を進みます。」


このタレントさんは色氣で売ったひとではあるが、

理知的な印象があったので、


そんなことを言うそのひとに、好印象を持った。


なにも拒まない。


すべてを受け入れる。


流れ、今、すべてをまるごと愛する。


大宇宙の流れは

我の真逆にある。


わたしはT子さんに、我で執着していたのか?


なんども自分に尋ねあぐねた。


やはり、個人指導などすると、

この方には元氣で自然体の笑顔でいてほしいと思う。


これは、わたしの我かもしれない。


しかし、まだT子さんにこれから伝え、関わることで、ますますよき方に行かれることを


確信するからでもある。


親しみという情を切り離しても、今、離れる時期ではないと解る。


一回一回の、T子さんとの時間を

今以上に大事に過ごそう。


永遠とは喪失することだった。


喪失だけは永遠に続く。


しかし、喪失しないものがある。


T子さんとの、こころの交わり。


こころの出逢い。


体温や、

ふくらはぎの柔らかさ、


肩の傾斜や背骨、背骨脇の丸み、


足指の一本一本違う開き具合い


口癖、


笑顔、考えているときの表情、


真剣に取り組まれる顔つき、


……。


忘れない。


どこまでもどこまでも持っていける。✨✨✨


ひとと関わることで、艱難辛苦を学ぶ。


それでも、艱難辛苦を抜けることができる。


どんな愛の種類であれ、

大宇宙に預けきったときには、

苦しまないことを識る。


あっけらかんのすっからかんの


こころ、


内景の曇鏡を磨く。


日々軽く


日々軽く。