プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

振り回されない


今日は代講で、久しぶりのスタジオに行った。


カテゴリーはバレトン。


バレトンの中のソウルシンセシスというのをやっている。


ソウルは、足底という意味と、直訳で魂、つまり精神面を意味する。


からだ、足底だけではなく、精神も強くできる


というメソード。


このバレトンを代講しに行ったが、ほんとうに大事だと思う、


筋肉がどうのこうのの前にある骨格についての話を毎回していて、


得心して、

頷くひと、

全くそういう話は今は入って行かないひとがある。


そのとき、聞き耳を立て、頷き理解を示してくださるひとには、フィット感を感じ、


はあ?

みたいなひとには、


「あちゃあ〜

お呼びじゃないのね」


を感じるか


そうではないということを、

今日は文章化しようと思う。


ジャスト理解するひとはきっと少ない


しかし、

なんか印象に残ったりする言葉を


もしわたしが提示していたとしたら、


それは記憶に残り、

いつか今ここというときに、

フリーズが溶け、

色付きの今の情報に思い出してくださったとき、


そこで、この時間が報われる。


だから、受け手の今の表情に一喜一憂しなくなった。


独りよがりということではなく、


今生の体験が通りすがりではなく、ご縁深き由縁であるなら、


今ここでなくとも、必ずこの時間は生きてくるから。



だから、疲れなくなった。


やってられないわ

とも思わない。


なぜなら、わたしがいなくなったとしても、


受け取るひとのこころの深いところに


伝えなくてはならないポイントを置いてきたことを確信するから。


ただ今だけの、


他者評価には、

もう振り回されない。