からだにかける言葉
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
✨今日はストレッチングについて
第一回目✨
✨✨✨✨
「わたし固いんです」
と挨拶代わりに、クラス受講開口一番に言われる方が多いです。
謙遜もあるでしょうが、自己イメージとして、自分のからだは固いという自己設定がある。
この自己イメージは、現実になっていきます。
🌿思っていることが現実になる。
これはもう、誰もが知っている法則ですが、わたし達はわりと頻繁に自分にレッテルを貼ってがんじがらめにしていることがあります。
また、そう思い込むことで、そこから変われなかったときの自分に、当たり前でしょ
と、無意識のうちに、安全圏を自ら作っていることもあります。
こういうわたしも、泳ぎを克服するチャンスがまだ、訪れていません。
川で溺れて、死にそうになったトラウマや、幼少期のあれこれありますが、
それについてはまた後日触れて行こうと思います。
🎈試しに、立位体前屈をしてみましょう。
「わたしはカ、タ、イ、デ、ス」
😫
と言いながら、あるいはそう思いながら前屈してみます。
次に
「わたしはふにゃふにゃでえ〜す」
と言ってみる、あるいはそう思いながら前屈してみます。
やってみます。
わたしなどは単純なので、
「カ、タ、イ、デ、ス」
と念じると
脛の辺りしか手が下がらず、肩や首のみならず、両足までカチンコチンになってしまいます。
当然、呼吸の制限も感じます。
一方、
「ふにゃふにゃでえ〜す」
と念じると
ふんわりふわほわ、まるで関節ひとつひとつが伸びる伸び〜るマシュマロみたいに緩み
お尻から膝裏、
膝裏から足首までが
びょ〜んと伸びていきます。
体重を感じぶらあんと、ぶら下がっていて、首も胸も肋全体もスペースが感じられる。
呼吸の幅もたっぷりしています。
からだがにっこり笑っているような、嬉しい感じになる。(>ω<)
両手は床に着きました。
これ、みなさんと、何度かいろんなところでやっています。
30年くらいまえから、やっていました。
全員、ふにゃふにゃ〜
と思ったときは手が床に近づいたり、着いたりしました。
猜疑心たっぷりの方でさえ、多少の柔軟性が引き出され、
「まあ、多少は……。」
としまったあ🙄
という顔をされていました。
この猜疑心とからだの固さは比例したりします。
疑うということは、からだの中に
抗うという執着を生み、あるがままの状態の最北に行ってしまうからです。
実は抗うものの中に、そのひと
の成長の核となる囚われがあります。
からだは素直でわかりやすいのです。
からだを通して、自分に氣付く。
からだは、探求の宝箱です。
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