プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

へんな力み


今日は元旦、

次男、次男の彼女、長男、長男のパートナー、孫と食事をしていたときのこと。


話の流れで、

長男から

「今どき、定年後もアルバイトぐらいはするやろう……。」


という話が出た。


その言葉がわたしには、


(年齢が高くなっても、自分で自活してくれよ、自活は当たり前だ)


と言われているように聞こえた。


「わたし、アルバイトなんかしないわよ」


アルバイトなんか……。


咄嗟にわたしは、わたしに襲いかかる期待と当たり前の定義を跳ね返していた。


🎒👟


子供が小さかったころ、


母子で生活していたため、


フィットネスインストラクター、介護職、舞踊、舞踏ワークショップ、アートモデルと、

複数の仕事をこなしていたが、


それにプラス、自然食品店で週に2日アルバイトを入れたことがある。


土の付いた野菜が好きなことや

、オーガニックのお店にはまともな食や環境の学びがあちこち詰まっていて、とにかく夢中で生産状況などを知ることにワクワクした。


また、子供たちがアトピーであったため、廃棄処分の有機野菜や果物、豆腐などを持って帰ることができるのが魅力だった。


オーガニックフードは母子家庭の我が家には高嶺の花、


しかし、子供には必要でエンゲル係数は落としようがなかった。


その有り難い自然食品店のアルバイトが続いたのは、僅か3ヶ月だった。


オーナー夫人に、

「馬鈴薯の芽をかいておいて」

と言われたから、バックヤードにひとりこもり、ひたすら馬鈴薯の芽をかいた。


レジ周辺は他の社員さんやアルバイトの先輩方が大好きな場所。


常連のお客様と話しているうちに時間はあっという間に経つ。


バックヤードは暖房はなく寒い、

エプロンを土だらけにしながら、軍手を嵌めて包丁で芽をかく作業は誰もやりたくない仕事だった。


そのお店のレジはややこしく、わたしは何度教わっても、部門や地域や会社別にレジを間違えずに打つことはできなかった。


できなかったというより、なぜか、頭が覚える氣になっていないという方が正確かな。


当然、何度教わっても

はい、はい、と素直に答えても、自分で打つことには、全く自信がない。


覚えていないというより、脳が拒絶して入っていないから、

人氣のレジ打ちは社員さん、アルバイトさんに任せ、わたしはダンボールの中の土付きの野菜たちの状態ばかり見ていた。


人参は元氣ですぐ葉が伸びるし、さつまいもも、芽が出るし、玉ねぎはヒヤシンスみたいになってくる。


それを報告し、空氣に当てたり、駄目になった野菜を切ったりしていた。


3時間近く、ひたすら馬鈴薯の芽をかいていたが、飽きることがなかった。


やりながら、あっ、作業療法してると思った。


馬鈴薯はどれひとつ取っても同じ形や色はなく、ほんとうにチャーミングだった。


土の匂い、芋の匂い、皮の色、芋の肌の色、触った感じも違う。


土の具合も生産地によって違う。


仕事中だから、絵を描くわけにはいかないが、ひとつの芋でいいから、絵を描いておきたかった。



オーガニックなので、その土を舐めてみたりもしたが、ホクホクした健康な芋の土は食べられると思えるほど、土そのものの味がした。


苦くなかった。


球根みたいな有毒って感じのケミカルの味がする土もあったが、その土にまみれた芋の表情は丸みがなく、固くなって、息を凝らしているようだった。


運動場の匂いがする、お日さまの匂いの土もあった。

その芋は園児みたいな顔をしていた。


芽かきは、寒いし肩が凝るし、土まみれになるから、みなが嫌がるので、芽かきしたら喜んでもらえると夢中でやっていたが。


オーナー夫人が配達から戻られたとき、わたしはまだ芋を手にしていたから酷く叱られた。


「いつまでやってるの!」


わたしは複雑なレジを覚える氣がありませんとは言わなかったけれど、頭にどうしても入りません。


と言って、その日のうちに土だらけのエプロンを外し、お店を辞めた。


アルバイトくらい


と長男が言ったときの、過剰な防衛発言やイライラする感じは、一般のひとがクリアできることが、わたしには酷く困難で、みなが嫌がるようなことが、わたしにはやり甲斐があるという特異性を持つわたしには、アルバイトでも……。


という安易なレベルではないのだ。


今、帰宅してひとりになると、自分には収入を得る方法はあるのだから、躍起になることもなかったのだと失笑した。


もう一点は、

(僕らは僕らで大変なんだから、自分のことは自分でやってね)


と言われたような氣がしたこと。


こんな些細な何もつっかえる話でもないのに、グサッとくる自分の柔らかい部分を改めて感じた。


もう、離れて息子たち各人は家庭を持っているのだけど、


世の中のご高齢の方が考えているように、わたしも年齢を更に重ねても家族に迷惑をかけたくないと思っている。