プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

その先にきっと

ワクワクすることをしなさい!


と言われますね。


ワクワクすることをする。


毎日の基本はそれ。


でも、今日からはその真逆をゆく。


暫く。


いや、朝の散歩も夕の散歩も、わんこの側にいるから、

ワクワクもあるのだけど。



今、食器棚の横の小引き出しを全部ひっくり返し、整理している。


一階をリフォームするから、とりあえず一階のものを二階にあげる必要があり、


ちょうど断捨離のよい機会。

と、口を真一文字に。

でも、自分で決心したこと。


わたしは大人になる。


出てくる出てくる見ずに過ごした古い思い出。


これは拷問。


娘が小さかったときにわたしにくれた手紙、

稚拙で一生懸命な文字。


丁寧にていねいに描いてくれたわたしの顔。


娘と、亡き母や亡き伯母が写っている写真。


二度と会うこともないだろう友だちから送られた手紙。


お星さまになった柴犬のたくさんの写真、

横には小学生のときの娘が。


自分を責めて、いっぱい泣いて泣いて泣いて泣いてもまだまだ足りない。


わたしのうん十年、大人になり切れぬ母親が積み重ねた子育て。


いくら働いたって子どもといる時間は足りるわけでも、充分であるはずはなく、


当然だと思う。


ただ信じるのはこの耐難きこと、

困難を乗り越えたときに、


きっとその先があるということ。