白い曼珠沙華
「あそこに白い彼岸花が咲いてるわ、お花好きやし、毎日楽しみやわ」
3日前に朝のお散歩で出会ったご婦人は、いつもにも増してにっこり教えてくださった。
わんこさんに引っ張られながら注意して歩くから、花を愛でる余裕がないことが多く、白い曼珠沙華には氣が付いていなかった。
それから3日、今日こそはとご覧の通り写真に収めた。
夕陽が花に差し込み、平面の写真からでも、風や光が背中を温める感じを思い浮かべることができる。
赤い曼珠沙華は
情熱
白い曼珠沙華は
また会える日まで
花言葉は違った。
今はなきアトリエ劇研の
美のフィールドワーク公演でソロを上演させていただいたとき、
エンディングのサスの中
白い曼珠沙華が天井からテグスでゆっくりわたしのところへ降りてくるシーンを思い出す。
舞台でも日常でも、ずいぶん花に助けてもらった。
花の存在が場を動かしたり、また、からだの中に普段は眠るものを引き出してくれる。
土に生える花はしあわせそう。
夕陽も朝陽も、浴び放題。
ひときわ目立つ花を見るたび、次の日に誰かに手折られていないか、心配になる。
誰かが手折らなければ、次通るひとも、また次に通るひとも、その花を楽しむことができるし、花も慣れ親しんだ場にいる仲間達と穏やかに暮らせる。
そう思うと、結婚とか、付き合うとか、約束した途端に他を排除する囲いに入るのだとしたら、
なんておかしなことなんだろう。
感性は生きている以上、開きっぱなしなのに。
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