プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

老いることは素晴らしい


だいぶ涼しくなりました。


朝は果物を皮ごとミキサーですり、たくさん食べます。


ブレックファーストです。


どろどろの果物が飲み込みにくく、以前よりスプーンで食べる時間が、僅かですがかかるようになりました。


嚥下能力の低下です。


今まではなんでもするするできたことが、今は躓きながら行うような感じです。


虫除けスプレーとガラスクリーナーを間違えて吹付けかけたり


定期を自宅に置いて出てしまったり


ぼうっとして、出る時間を勘違いしたり


いろいろあります。


でも、だから今ここでひとつひとつを再確認して


すべての機能が健全であったことに氣が付きます。


なんにしても時間がかかるようになるにつれ、


当たり前に、考えず行動してきたことは当たり前ではなく、

見えていなかったのだと氣がつきます。


だから老いるというのは有り難いことだと思います。


はじめに首が座りましたが、首を動かすことも、できなくなったときに、いちからひとつずつ今まで与えられたものを確認していき、お別れなんですね。


当たり前が全部引っ張がされ、クリアにひとつひとつを眺めると、


もう感謝しかありません。


そうやって最期の呼吸まで、ひとつひとつ感謝でお別れするのですね。


老いることは目覚めることですね。


しかし適度に寛容になっているから、ジタバタは少しずつ薄れるようになっている。


神さまのはからいは

なんと愛が大きいのだろうと思います。


愛しいひと、愛しいものとも少しずつさよならして、


感謝だけで丸裸になるのですね。