プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

歴史のある場所、お庭


普段は非公開のお寺での公演を終えました。


25年続いたこの公演を今回もお寺様で出来ましたことに感謝します。


共に踊ってきた姉妹のようなダンサーや、


突然、写真や司会やもろもろを引き受けてくださったご縁の深いお友だち、


今回も音を創ってくださった音楽家、


留守中のわんこの散歩をしてくれた次男、


遠路はるばる見に来てくださった方々、


暑い中を探して探して来てくださった方々、


お庭、お寺、天氣、応援してくださる方々の存在、

からだの健康、貫いた意志、

継続してきたエネルギー、平和

……。


数え切れない、はかりしれない力によって上演することが出来ました。


ありがとうございます。


スカートを風が揺らしたり、かくれんぼのシーンで雨が降り出したり、蝶が飛んできたり、


すべてが天然の出来ごとで、その移り変わりに招待されるように、


踊りが変容していきました。


ひとりぼっちではありません。


風が、空が、雲が、木が、花が、石が、鳥が、蝶が、虫が、土が、存在し


その存在との対話であり、ラポールの一瞬一瞬が繋がっていきました。


ひとり、庭に放り出され立ち尽くしていたとしても、


空が、雲が、木が、花が、実が、石が、土が、蝶が、虫が、鳥が、わたしをさらうかのように手を引き、背中を押し、手を繋ぎ、胸を満たし、エネルギーを与えてくれたのです。


わたしがひとりではなく、この宇宙の、この地球の、この地域の、この庭の、この石や木や蝶のひとつひとつと、わたし自身が同じなのだとわかりました。


小さな石を手で掬い上げたとき、

わたしを掬い上げ、

小さな石を握りしめたとき、

わたしを抱きしめていたし、


わたしが微笑んだときには、

空も微笑んでいました。


観るは見える

見えるは観る


なんですね。


本番をひとつ超えたとき、精神と體と魂の臨界点が動いていました。