プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

アファメーションはしんどい


満月に手放したいことを箇条書きだとか、


新月に目指すものを箇条書きだとか、


伝えてはいます。


それは、月の満ち欠けという森羅万象と自分たちがうまく乗って行けるようにガイドしていく意味もあり、



星の中にいるわたし達という視点であったり、


今を観る感謝のきっかけにもなるかなと、


満月、新月情報を受講者さまに送ったりします。


ところがそういうわたしは、


箇条書きしているときはルンルンなのですが、


ふと書き終わるともう、満腹になったような氣分になり、


しんどくなる。


で、書いたことなど忘れてしまう。



アファメーションって、ようは自我の塊違うん?


と思うのです。


天命を全うしました、

ありがとうございます✨


では一行になるから、


家族がしあわせです


周りのひとがみなしあわせです


平和です


わたしの使命を全うしました


とか、10個になるようにやっていくけれども、


じゃあ具体的に

使命って何?


と10個に膨らませるために具体的にしていくように

と問われたら、


本人の勘違いだった


ということもあるのです。


一番わかりやすいのは、


占いの相談者の方が


✨誰々さんと結ばれますように

と祈願したとして、


その誰々さんは

あなたのパートナーではないんだけど


というとき、


わたし達人間には肉体があるから、自我もあるので勘違いもする。



だから、

わたしに相応しいひとと相応しい時期に結ばれます


でいいんですよ。


と伝えることがあります。


頑ななひとには、話しませんが。



抽象的な願いはしんどくないのですが、

具体的に、自我から出た、自分の魂の本線でない願いなどを祈ると


ほんとにしんどくなります。


なので、わたしは一切アファメーションはしません。


書いてと言われたら書きますが、すぐに醒め、消してしまいます。



カムナガラタマチハエマセ


すべて、遥かな流れにお任せ致します。


よき方に導いてくださっていることに逆らわず、

すべて受け入れます。


短なスパンで見れば

酷いことが起きたとしても、


大きな流れからみれば最善の経過であるのだから、


すべて、自分にとって都合がよい、都合が悪いに関わらず、


すべて受け入れる、



なにものをも拒まないこころを培うだけ。


目的なく、ビジョンもなく、期間も決めずに生きていたらぼやけて、月日が経つ


と思うひともいるかもしれません。



しかし、月日、そのものを愉しむ、愛でる、学ぶ

のだから、


ぼやけるという発想はありません。


また、なんもせんでいい


と言われたとしても、人間は興味のあることには


ササッと動くだろうし、


自分のためには動けなくても

、ひとのためになるということには、

動くなと言われても動き出しているでしょう。



小さな頭で考えないことです。


カムナガラタマチハエマセ