道端の水仙
住宅街では花や木を植えています。
観賞用なんですね。
この写真は、山間の家に続く登り道に咲いているのです。
花は誰が見ているとか考えてはいません。
誰かのために咲いているわけではなく、ただ命いっぱいに開いています。
山間の道に咲く花を観るとドキッとします。
命の本質、自分自身の本質である花や木は自分と全くおなじであることを見せてくれるからです。
正確に言うと見せてくれているわけではなく、勝手にわたしがそういうふうに見ているのです。
見せてくれていると思うことは主観であり、一種の傲りかもしれません。
主観というのは、彩りがあるのだけど、極めて静かな領域に
いる
という至福だけが、
至福と感じることさえ永遠で、切れ間がなくわからないくらい取り立てないありさまがあります。
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