挑む、にげる
先日、ゴルゴ松本さんの動画を見ました。
あの命!
で有名な人です。
ルックスとは裏腹に日本語に対して深い理解をなさっているので、惹き込まれて見ているうちに、
じんわり温かいものが込み上げ、こころが強く動いたので、
お話します。
兆
きざし
に辶を書くと逃げるですね。
この辶は走るという意味、足を表すのですが、
なにかを察して逃げる。
逃げてもよいのです。
ひとは今は立ち向かえん!
とわかるときには逃げます。
だから命を落としたり、怪我をしたり、病氣になるような事態なら
逃げてもいいのです。
で、一方、
兆に扌を書くと、挑むです。
挑む、手やからだを使って
挑戦するのです。
逃げてばかりいると、言い訳癖が習慣になります。
左脳は自分の都合の悪い部分を守るため、見事に嘘をつくようです。
で、そうなると、やり切るひとに対して、妬みや嫉妬が始まり、
ひとの成功やしあわせを歓べない、足を引っ張ろうとする
いやあな人間になります。
そういうときの自分は自分自身も嫌なので、自己嫌悪、逃げ、周り引きずり下ろす
みたいな重くていやあな空氣を醸し出します。
また、やり切るひとを嫉妬しているときには、
そのひとはきっと
ご主人、あなたできますよ!
とインナーパートナーが言ってくれているのだとわかります。
かすりもしなければ、氣にもならず、
すごいね!
で他人事ですが、それを見てオロオロするというのは、少し背を伸ばせば手に入る域にいるから、ご主人、何してるの?
と言われているのだと思います。
だから居心地が悪く否定するのです。
成功しているひと、しあわせなひとを否定しているのではなく、
成功できるかも
しあわせになれるかも
と挑もうかと思う自分を否定するのです。
なぜか?
やらなければ傷付かないから。
そして、やらなければ楽だから。
でもそうすると、変わりたい自分をいつもストップさせるために
またいやあな空氣を纏うひとになってしまいます。
ゴルゴ松本さんは動画の中で、
逃げてもいい
でも、挑戦もできる
とだけ話していました。
わたしにとってその言葉はわかっているよ
と思う反面、
わたしの動きたかった部分を動かす起爆剤になりました。
自身に落とし込むと、深い氣付きがありました。
ゴルゴ松本さん
ありがとうございます✨💓
命!
😁
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