プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

生き甲斐

子ども達が巣立って行った。


わたしが朝起きるのは、犬を散歩に連れていくためであり、

子ども達に朝食を作り与えるためであり、

家族全体の洗濯物を回し、干すためであり、

夕飯の準備をするため。


亀にご飯をあげたり、水を替えるためであり、

犬にご飯をあげるため。


そして仕事に行くため。


それはほんとうに長かった。


30年と続いた繰り返し。


今は犬を散歩に連れていくため、

犬にご飯を与え、亀にご飯を与え、

ときには仕事に行くため。


だから、何だか動けなくなった。


やれやれ、これからが自分の時間だというのに、ワクワクと朝を迎えることはなくなった。


自分を大事にしてね

とみなに言っているけど、ひとのためや家族である犬や亀のために生きていたのだ。


多少睡眠時間がなくとも、きちんと朝食を食べて出ていく子ども達を見ていると、いつも満足だった。


これからは、自分のための時間を大事に過ごそう。


時間は命。


永遠は、時を失うこと。


子ども達の世話をすることで観なくて済んだことがある。


今からは経験の清算と、温めていくことの両方をくまなく静観したい。


自分のために生きていい。

しあわせになっていい。


でも、この歳になってつくづく、ひとはひとのため、出逢った愛するもののためだけに

ほんとうの生きる意欲が、湧くのだと感じた。


置き忘れてきた感情や想いを、今からは自分の中に梯子段をかけて降りていき、助け出さなければならない。


そうしないと、今までをこれからを、丸ごと生きたことにはならない。


命を授けて頂いた、せめてもの恩返し。


置き去りにされていた自分を救い出さなければならない。


🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼


わたしは突然、股関節がブロックされることがある。


そうすると立つこと、歩くことが出来なくなる。


今日も元氣に歩ける、散歩も行けたし、バレトンのクラスも出来た。


声帯結節が大きくなると声が出なくなる。


今は声がスムーズに出る。


ありがたい時間。


相対的にうまく行っているからありがたく、うまく行っていないときはありがたくないわけではない。


どんなときも、ありがたい。😁