プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

電車の中で氣づいたこと


先日、大工さんに

「奥さん」

と呼ばれました。



ある程度、歳の行った女性を呼ぶのは


奥さん?

 

しかないの?


で、少し前なら

「わたし奥さんじゃないです」


と切り替えしていました。


もう畳んでしまわれましたが、近くの八百屋さんのおばさんに


「奥さん」


と呼ばれたときは、


「わたし奥さん違います。

表さんです。働いてますんで。」


と言ったものです。


呼び方いろいろあります。


違和感を感じるものを挙げると


奥さん

主人

家内

女房

などなど。


奥さんと言われたら、

なんか奥の院におり、働かず大事に大事にされた


床の間の置物みたいな印象。


主人?

では配偶者は仕える人?


嫁は家の女


うわあ〜


家内は家にいる家事をする人みたいな


女房も台所にいる女のような



で、ならば

どう呼べば?


大工さんはわたしの名前を知っているのだから、



「〇〇さん」

と固有名詞を使われたら、

すっきりします。


人に紹介するのなら、


パートナーですとか、

伴侶です

などがきもちいい。


いろんな人がおり、既婚、未婚、

様々。


既婚者でもバリバリ働く人もいます。



ここ何年かは


「奥さん」

と言われようが、


何も切り返さなくなりました。


それは、


そういう言葉を出す人の人生では


その言葉に違和感も疑問も感じなかったのだから、

悪氣などなく使っているのだから。


それでも、その人からすれば

「イレギュラーな人もいるのよ」


とわたしは忠告したかった。

(今は別にイレギュラーでもありませんが)


そういった引っかかりに対して、

いちいち言わなくなりました。


しかし、もし親しくなれば、


「あれは ギクッ! としたわ」


と打ち明けるでしょう。


もう一点、なんで言わなくなったのか、氣がつきました。


前は、子ども達をひとりで働きながら育ててきたことを


わかって欲しかったんだということ。



既婚者みたいに両親で子育てしていないから、


父母一役でこなしています。

働いて働いて、

頑張ってるのよ、


わかってよ!


(ときにわたしは子どもの友だちでもありますが)


ということを表現したかったのだなと思いました。


今はそんなことは

あまり氣にしません。


が、やはり人の呼び方にその人の意識が現れて来るとは思います。


わたしはわざとおばあちゃんと言ったりします。


それも、たぶん

もう頑張りたくない、

現役退いてますと


自分が自ずと選んだ呼び名なのですね。