プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

意味づけ

ただ浸りたい!


そんなとき、


このアーサナは自律神経をなんちゃらかんちゃら

とか


このアーサナは消化器系になんちゃらかんちゃら

とか


やたらご利益を教えてくださることがある。


はあ、そうなんだあ、


からだにいいことしてるんだ、よかった!


となるのだけど、


なんにも言わないで


ただただ、からだに潜り込み、言葉にできない感覚を味わっていたり、それそのものでいたいときもある。


例えば巫女舞を


言われたままに模倣してまっすぐ手を伸ばして舞う少女と、


手の先をぐうっと引っ張ったら、もっと美しく視えると、意味づけして手を引っ張り、舞う舞手とは違う。


子どもではないから、いろんなことを経験し知ってしまったとしても、


無邪氣に舞そのものになっていたり、


きれいに見えるようになんて微塵も考えず、ありのままに無防備で命懸けで舞う。


そういうことを尊いと思う。


ヨガなら、ご利益があるからヨガをするのではなく、あの心地よい時間をもう一度味わいたくて自ずとやりはじめる。


ヨガの時間、やらなくちゃ!


ではなく、なんとなく座った。


なんとなく勝手に始まっちゃった


みたいな。


そんなふうに暮らしたい。


だから、なんとなく起きたらお日様に当たりたくて散歩に出かける。


わんこを散歩させなくちゃならないから


ではなく、お日様や鳥に呼ばれてでかけていく。


毎日がそういう時間であれば、ひとは老けないだろう。


時計などない、原始生命體としてのありかただと思う。


なにをするかではなく、どうあるか


種を植える前に畑を耕す。


畑は石だらけではなく、柔らかい土でありたい。


これはこうなるなんて思うという石がない土に、種をそうっと滑らせたい。