プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

親のありがたみ


両親とはボタンのかけ違えのような関係だった。


父などは中学2年以来まともに話したことはなく、

いつも一線も二線も引き、

必要最小限の会話しかできなかった。


こんがらがり、

また自分が傷つかないようにしていた。


そんな両親が生きていたとき、

父はパーキンソンが長かったし、

母はその後に胆管癌を患ったので、


大方10年、両親をみていて母を見送り、父を見送った。


いろんな理不尽なこと、困ったこと、悲しいことあっても

母にも、

ましてや父にも

あまり詳しく打ち明けたことはなかった。


もう、結論が出ているときは伝えたが、

心配かけたくないし、まず話してもわからないと思うから


面倒なことはなにも話さず、

ただ両親の住む家に行ってはお茶を飲んだり、

珈琲を飲んでいた。


それでも、

辛いときに両親がいる、

あるいは片親がまだいるだけで、

なぜか立ち上がる力をもらった。


それは、話せば絡まる間柄であっても、やはり親がいるというのはありがたく、

守られている感じがしたからだ。



今、母は鬼籍に入り10年になり、父はこの9月で7回忌になろうとしているが


ひしひしと親のありがたみを感じる。


なんも話さんでいいし、寝たきりでも構わない。


ただ、わたしを産んで育ててくれた母が生きているだけで安心していたし、


罵られてばかりだった父、

寝たきりであっても、あの部屋にいるというのがなぜか御守りのようなものだった。


もっともっと、世話をして、


もっともっとそばに居たかった。


そして


もっともっと優しくしたかった。


だから、今そばにいるわんこや亀さんに思う存分関わって、


毎日、わんこにも亀さんにも、


「大事💕」


だと伝えている。