プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

それはないわ


食料品店で店員さんにお尋ねしたことがその人にはわからないとき、

別の店員さんに連携してわたしに解答してくださる。


この筋肉質なスーパーマンみたいな娘の

大好物の干し芋が店頭になかったので

野菜を陳列している店員さんにお聞きした。


🤶「ここにあった干し芋、今ないんですが、もうないんでしょうか?」


💁「お待ち下さい、聞いてきます」


しばらくして店員さんが戻り、出てきた倉庫担当のひとに、


💁「あの、ピンクのひとです」


😂🎉🎊🎉🎊😂🎉🎊🎉🎊🎉🎊😂🎉🎊🎉🎊


があん!☠️🦠🧠


確かに確かにピンクのひとなんだけど、それって


it


を柔らかく言っているだけ。


それ、it。


じゃあなんと言われたら驚かなかったのかと鑑みると


わたしの近くまで来て、


こちらのお客様です。


と言ってほしかった。


✨✨✨


面倒くさい客だ、わたしは。


例えば白髪になっていて、

あちらの白髪の方が‥。


と言われたらなんか微妙な感じがしませんか?


こちらに聞こえないところで言われたらわからなかったのですが、聞こえていますから。


なかなかわたしは面倒くさい感性があるようです。



では右から3番目の方

と言われたらどうか?


やっぱり少し違和感があります。


それは、記憶の中に番号や区別する何かでわたしという個体を指し示された経験があり、それが不快な苦痛を伴う経験であったからかもしれませんし、


また、唯一無二の人間が死亡者や誕生者のカウントの1と位置づけられる扱われ方であったり。




そしてそれに加え、わたしのことをわたしに聞こえないと思って話していたからです。


一日の中で、

うん?ん?ん?


いろんなつっかえがありますが、そういった、?の感覚はわたしの宝物だと思っています。


ん?がなければ、他者が、ん?となることを取り除く発端にはならないですから。


🙏


本日MRIを受けました。


お利口で動かなければ20分で終わります。


MRIのドームに入るとき、いつも想像するのは、わたしが焼き場で焼かれるとき。


パン焼きのオーブンを細長くしたようなドームに押し込まれ、扉が閉まる。


もう恐れはないのでしょうか?

焼く前は肉片ですから。


まだ経験がないのでわからないのですが。


しかし、魂がそれを視ていたとしたら、わたしの慣れ親しんだ肉體が焼かれて灰になるのです、淋しく哀しいかもしれないし、明らかに観ているだけかもしれない。



それを想像すると

ドームの中で微動だにせず、ベルトに挟まれて静かにしている中で

涙が一筋流れました。


瞑想も、呼吸法も、舞台も、

何かするという、手が少なければ少ないほど、死ぬときのリハーサルと同じことをしていると感じます。


呼吸を観ていると、今はここに居ながらもあの息ができなくなっていく記憶が、同時に立ち上がってきます。


ひとり、人知れず、誰も手が届かないところで次のステージに行く。

そのために去る。

すべてを手放すことに不安も恐れも最小限でその変容の様を理解していれば、静かなセレモニーを静かなままで迎えられると思います。


恵まれている。

有り難い有り難い。

今呼吸があることが有り難い。


🥰