プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

胸ぽかり


 りゅうちぇるさんの訃報を知ってから、胸にぽっかり、欠損感があります。


以前、


ブス、死ね。

というネット上の誹謗中傷コメントに


僕は可愛いし、生きます。

そしてあなたも、生きて


とりゅうちぇるさんが、返していたことに感銘していました。


どこの誰かもわからないひとの無責任な発言に真摯に返す、この誠実さや寛容さや細やかな優しさは、とても20代の血氣盛んな年頃に出てくる言葉ではありません。


なので、年齢などには計り知れないキツさを経験し、居心地の悪さをひとり抱えて来られたのだということを感じます。


また、とてもきめ細やかで、今までもこれからもひとの何倍も密度の濃い時間を送られるのではないかとも想像しました。



繊細で独創的という才能が両刃の剣を持つ。


それは道を模索して創りながら生きる、素敵なりゅうちぇるさんの裏にあるヒリヒリする傷みでもあると思います。



名前も出さず、魂を刺すようなコメントをするひとについてや

ブスという一括りの不当さには

ここでは触れません。


ただ、りゅうちぇるさんが大切なご家族と愉しい時間を過ごせなくなったこと、

また、どれくらい掛るかはわからないけど、肉體があるうちに、こころを少しは楽にすることが出来たかもしれないと思うと残念でなりません。



そして、訃報はみるみる取り上げられ、輝いているときは軽く流されるひとの目の粗さにも憤りを感じました。


冒頭のりゅうちぇるさんのコメントを見れば、りゅうちぇるさんがどれほどの苦しみを味わってきたひとかはわかるのに‥、


大事にならないと振り向かない。


りゅうちぇるさんとは、

お話したこともないですし、わたしごときになんの影響力もないにせよ、関わることが出来なかったことも残念でなりません。



りゅうちぇるさん

安らかにおやすみください。


ありがとう。

イチョウの木


今日は豪雨。

またある日はカンカン照りで。


どんな日もわたしを守ってくれる。


雷が鳴っても

このイチョウの木がいるから、怖くない。


おじいちゃんのような静かで優しい木。


大分大きくなった。


ずうっと、ずうっと

あなたがここに居てほしい。


ありがとう。

ギュッ



 股関節手術仲間の友だちにミホミュージアムを観に行くことを誘われ、遠路はるばる行ってまいりました。


車での送迎の道すがらからだのこと、仕事のことなどなど、話は尽きません。


 さて、ミホミュージアムでは

美の祈り

が開催されていて、11日までだったので、滑り込みセーフの体験でした。


 作品はどれもこれも、ひとつ観尽くすと1月くらいはかかるような年輪、文化、風土、価値観、自然、愛が溢れかえっていて、わたし達股関節友だちは、少し観てはため息つきつきの鑑賞。


休憩しよ!

を連発で、休みを取りながら歩みを進めていきました。


面白いことに、彼女もなかなか受信器がきめ細かく、足が辛くて休むのではなく、脳がキャパオーバーでするするとは進めなかったのです。


そんな美と祈りの真中終わりに構えている、


青一色、幅広く拡がった作品が、


ユニバーサルシンフォニー

という作品でした。


作者はここにこの作品があがるのを楽しみにされていたにも関わらず、それを見ずして昨年9月に天に召されました。


ひと目見ていただきたいので、

詳しくは書き込みませんが、

人類の誕生から死というステージまでの過程

宇宙の始まりから果てまでの過程


ひとりひとりに引き寄せると、

御先祖から受け取り、今という継続の森羅万象、神羅万象

から旅立ちまでを目の前の壮大なキャンバスに観ていました。


不思議だったのは、右目から涙がほろほろ頰を伝っていたのですが、左目からは一切そういう反応がなかったこと。


(後で調べます)


わたしの舞台、志事、生活、

全てのテーマは祈り

であることが、このミュージアムを今日訪れた由縁だと感じました。


もちろん、そのラポールに、股関節友だちの彼女がいたのです。


静かな熱いもの

冷静で温かいもの


を受け取り、

こころ満腹で今日をまた、キャンバスに置いていくのだなあ~

と静かないち日が明けました。



みなさま、今日もギュッと普遍が詰まったいち日を、氣付いているいち日でありますように。