プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

きゃあ〜


 土曜、早朝甲賀に着きました。

今日は、朝Yogaとバレトンの指導です。

入口付近に緑の細長いのがいっぱい落ちていて、葉っぱ?

と近づくとイナゴではありませんか?


おニャカ回りはでっぷり太っておられます。


 甲賀の稲穂は、黄緑になってきた稲とまだ青い稲、豊かに垂れ、稔の季節も間近です。


イナゴはいねが〜👹


イナゴだらけで、みなさん弱って動きません。

体育会系の見本のようなコーチがイナゴ隊をみて、


きしょ!


と一声。


普段見慣れていてもあまりに多いと

きしょ!


になるのでしょうか?


その、きしょ!を写メに納める変態です。


前日の京ラクシュミー座公演、満員御礼のうちに終演となりました。


来てくださるお客さま、音響さん、照明さん、スタッフの濃濃メンバーやキャストの方々のおかげて2年目も、動いています。


ありがとうございます。



 一階に今は必要のないストーブがあり、


これ、2階に持って行かないか


と言われましたが

わたしは


持ちませんよ


と言い、じゃあ誰に2階にあげてもらおうかと全スタッフを検討するも

結局は誰も持ち上がれる人間はいないことに氣づき、

それから再び2階にという話は出なくなりました。


あっ、あの人は腰が

あっ、あの人は大腿骨折ってたよね

あっ、あの人は後期高齢者

あっ、あの人は人工股関節&膝ゆわしてる


などなど。


結局、肉体労働をできるひとはひとりもいないことに氣づき苦笑し、笑い飛ばした一コマ。


きばらんときまひょ。


生きていて、それでよしだと、朗らかに舞台に立つのが一番なのです。


氣負うことこそエゴなのだと、思い込みをパラパラ落っことして行く繰り返しです。


感謝。

正義という攻撃


 

 猛暑、皮膚トラブル改善のため、尻尾のついた娘を薬浴させに、かかりつけの動物病院に行きました。

その帰りの家まで5分の道のりのことです。


尻尾の姫に日傘を差し、影を探しながら、大して効き目のない日除けをして足早に歩いておりました。


コンビニ前を通るとき、すれ違いざまに、


「暑いやろ、こんな時に‼️」

サンバイザーをした自転車にお跨りになった70代前半のご婦人の方に、怒鳴られました。🙃


 😳😳😳😳😳


追いかけて、


今動物病院の帰りです、こんな暑い時に誰が好き好んで散歩させますかいな…。


と言い返すこともできず、兎にも角にも急足で自宅に流れ込みました。


この上品で思慮深いご婦人は、🙃


犬、可哀想に。

馬鹿飼い主に連れられて、なんという常識のない飼い主や!


とご立腹な訳です。


多分、この話題は家に帰っても、ご近所様にもお友達にも、当分の話題でございましょう。


可哀想に、馬鹿な飼い主…。



わたしは車に乗りませんし、処置の終わった動物病院は涼しくなる夜8時くらいまで預かってくれることもありません。


また、夜は夜で仕事しておりますし、お迎えには行けない。


苦渋の選択で取った行動です。


でも、ひとってその断片だけを見てああだこうだと正義の剣を振り回します。


このひと、きっと親切で優しいひとなんだと思います。


でも、言われっぱなしの身、なんか泣けて来ました。


もう家やし、思いっきり泣こう💧💧💧


亀さんも外氣高すぎだし避難して、

うんこらうんこら玄関に入れますよ。


🐢🐕

リハビリ




 

 ここしばらくあんまり股関節痛くないなあ

、と杖なし歩行など試みておりました。


まあ、術側から痛みを庇うため固めてきて、長年掛けて硬くなったところは更に硬くなっていますが。


 昨日は2週間ぶりにリハビリを受けました。


まるで寝た子を起こすような、ほじくり返すような手技。


せっかく痛みを忘れかけていたダメージのところに、手を入れ圧を掛けてほじくられたような。


帰宅してからもずうっと痛くて、夜は痛みで眠れなかったです。


なんやねん。


やってもらっている2週間ぶりの手技の意図はたぶん、硬いところを柔らかくしようとしてはるのだと思いますが、



そこまでしないと柔らかくならないのか?

痛いとまた固まるやん。


と毒づく内声。



人工股関節にしたとて、生きる意欲があれば、というより、生の継続しかできんかったにせよ、

ただ、ひとの10倍メンテナンスの必要なからだ、心になっただけ。


そう思っている中、

グルが内側から押し出してくださり、家事ができること、歩けること、仕事できることなどに感謝をして日々過ごしていたのです。


なので、硬いから解すということが適切であると言われれば正論なのかもしれませんが、

せっかく治ろうとして安泰になってきたところをまたざわつかせた、

また傷付けたと感じたのは、わたしに感謝がないからというより、

からだはやっぱり嫌だったんだと痛感しました。


納得していない痛み、黙って耐えていないで、

せっかく痛みが落ち着いてきたのになんでそんなことをするのか?


再度嫌がられても聞いたらよかった。


自分のからだの声を聴き、自分でできることを最優先にします。


 外国に住むお友だちのダンサーさんが、秋の公演に向けて日々稽古ざんまいなんて投稿をされていました。


わたしはというと、4時半から朝散歩。


家周りの草を、蚊取りを炊きながら一面だけ取りました。


で、洗濯を干し。

もうそれで修了って感じのエネルギーです。


直向きに踊りに向かう毎日なんて、どこにもありゃしない。


日々生きるのんにいっぱいですねん。


そういうことと、ひとの前に現れる上演時のその時間とは同じです。


特別なことではなく、同じことです。


それがやっとわかったこと。