プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

猫日和


 本日晴天、駅周辺は行楽のひとひとひと。


知恩寺さんの市であそべねこさんの焼き物を買いました。


手にすんなり馴染む器には、まず野花を挿したい。


隣のお店では一番氣になるタンザナイトをみつけ、その小さなパープルブルーの石も頂きました。


 続いて電車移動、愛しのリバ子、ガブ子、エル

に会ってきました。


写真はリバ子です。


女子トーク(女子?)

の仲間に入り、話をふむふむと聞いてはりました。


蕎麦や天ぷら、フルーツケーキの美味しさはわたしにとっても特別な日でしたが、水に浮く亀も鴨たちもとても長閑で、寒い日の柔らかい日向を楽しんでいました。


最近、なにもかも有り難い。


隣に尻尾のパートナーがいることも、ご飯をいただけること、温いお布団で休めること、朝に目覚めることなにもかも。


世間ではぶっか

親しみ







 人工股関節友とまたミュージアムに訪れました。


わたしは出不精なので、(仕事でバスや電車に乗るのさえ避けたい)彼女が誘ってくれなければお目にかかることはできなかったです。


みちのくのほとけさま、かみさまが、木で掘られています。


そのひとりひとりの表情は、病院のコミュニティルームで

毎朝「おはよう」と声かけたあのおばちゃん、あのおじちゃんみたいねと、

クスクス笑い合いました。  


彫刻家とかいうブランドもんはおひとりもおられず、地元の大工さんやお坊さんの手で創られたものです。


キクイムシにやられてドットの穴が無数に空く、ほくろだらけのほとけさま、かみさまは素朴そのもので、そこには土地の方々の生活や祈りがありました。


祈りはひとの生活やこころが大我にあがった結晶です。


 来週は公演を迎え、わたしも上演するわけですが、わたしが知っているところの熱(欲)が落ち、すっからかん、なにもない状態が続き、これじゃあ、恐ろしい!ひとの前になど立てないわ!


とうんうんうなっておりましたが、今朝、ぐらぐらしていた乳歯が抜けたように、


なにもないって、スタート地点に立ったってことだとわかったんです。


なにもないがスタート。


今まで付けてきた定義という雁字搦めに嵌まるというのは依存なんだ、

それはあのひとのあの時代の裏付けされた実績からの安心を身に付けていくようなこと。


それが小氣味よく抽象的だったりパラドックス的だったり哲学的だったりしたときに、

難しめの自我がシェルターに入ったようなレーン内の藻掻きを約束してくれるような。


誰も守らない、レーンもない、後ろ盾も保護もない中で、なにもない感覚。

それは、そこにはまるまる全てある。


やっとここまで来ました。


乳歯が抜けたところはまだ歯茎は柔くデリケートです。


やわ こそ今。


 誘ってくれたマキちゃん、同い年、1日違いで手術して、同じ病院にいたね。

彼女は猫の焼き物を創っています。



ただふらあっと誘われたんですが、悶々から足抜けするきっかけを今回も頂きました。


みちのくのほとけさま、かみさまが、

それでええんよ

と線みたいな目で微笑んでくれているようでした。


あっ、これだけは伝えたい!


お姿ごとに紹介文がありますが、


✨恐い顔を作ろうとでかくしたも

かえって逆効果

とか、こんな撫で肩の毘沙門天は見たことないとか、


親しみが湧き出るきらくな言葉があちらこちらに溢れていて、

お姿の前に立つわたし達の、ミュージアムに来たんだという垣根をいっきに取っ払ってくれました。


やりすぎない、でも撫で肩の紹介文を作られた方、それを採用された方々にも感謝です。

替天行道


 中村隼人さんの宙吊りありの大スペクタクルの歌舞伎、新、水滸伝を堪能しました。

中村隼人さんの美丈夫もさることながら、市川中車さんの色氣に惚れ惚れしてハラハラドキドキでした。


個人的には市川笑也さん演じる青華という武芸達者な女性の、自分を枠に嵌めた生き方をしている切羽詰まった凛とした姿、

凛々しさと儚さに惹き込まれるていきました。

この青華さんと市川猿弥さん演ずる王英とが相思相愛になっていくシーンなども、ハッピーエンドのひとつで、演者と舞台と観客がひとつになって見守る時間でした。


今、現実には理不尽なこと、誤解、智慧の乏しさ、社会の歪みなどが浮き彫りですが、だからこそ、小難しいこと抜きに、観客が一丸となって舞台を押し上げていくような温かい空間に身を置けたことは有難いことでした。


 水曜夜はバガヴャッド・ギーターの読書会なのにすっかり忘れてしまい、ほわあっと響を味わっていました。


 なんか、今日はサクサクことが運ばれるのもきっと観劇の効果です。

(時に娘恋しいし、懺悔、べそべそに襲われはしますが、短く通り過ぎました)



お芝居、いいです。

高齢になっていくときに、楽しみ、歓びを見つけていく。

生きていれば、プチハッピー、小さな、いや大きかったな歌舞伎は。

歓びと出会えること、歓びを作り出すことで、失ったことを乗り越えられるのでしょう。