プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

ちょうちょ


 川沿いは訪問制宗教勧誘の冊子に出てくる、この世の天国のような光景。


 いろんな民族の方々が川沿いの芝生やベンチに座り、本を読んだり寝そべっている。


川辺りには明かりを灯したような菜の花たち。


土手にはたんぽぽが共演。


黄色と緑とまだ残る桜の薄いピンクに濃いピンクに


モンシロチョウ。


空の青は抜け切っている。



わたしはシャープな黒が好きですが、やっぱりこの世は色界なのだと、ほうっと観ていた。


朝の寒さがお日さま加減で緩んだものだから、モンシロチョウが二匹が、じゃれ合うように絡まって飛んで、周りにも無数の仲間達が。


ここはもしかしたら三途の川?

とふと思うくらいの蝶の数で、魂が蝶の姿を借りて降りて来たとしかいいようのない光に溢れた情景だった。


寒いわけでも暑いわけでもない、頰に触れるそよ風は少しひんやりして、

胎内にいたような体感覚が無の感じ。


快適過ぎて外と自分のからだの瀬戸際がなく、同化飽和状態でした。


はよ帰らな!

とすぐ思う、詰め込む癖を手放し、

しばらくただ川面のキラキラと、蝶の絡まりやおしゃべり、菜の花、たんぽぽ、風、ときどき桜の花びら、土に太陽、草を尻尾さんと満喫しておりました。


小学校で一番はじめかな?

に習った

ちょうちょうのうた


ちょうちょう

ちょうちょう

菜の葉にとまれ

菜の葉にあいたら

桜にとまれ


桜の花の花から花へ

とまれよ遊べ

遊べよとまれ


なんか色界真っ盛りな歌詞の匂いもするのですが、

童謡、ちょうちょうの作者は今頃の季節を表現したのだろうと懐かしい記憶を新鮮に感じました。


蝶は魂。


たくさんの魂が川辺りに賑わっています。

心華寺和尚との対話


写真は心華寺のヨーガ観音さま

足元には雄弘ヨーガの番場先生の🕉が入っています。


令和になる前、平成の最後の12月、斯波和尚は肉體から離れていかれました。


その年、まあ、50年近く行くことがなかった駅に栃木からの友だちと船に乗るため訪れた日、ばったり和尚と奥様と出遭い、


今から病院に行くんだ

と言われていたのが昨日のように蘇ります。


 そしてその年、和尚は天に召されました


和尚他ご先祖さまのお位牌の前に座ると、たくさん並んでいるお位牌からの思いに胸が詰まりいっぱいになりました。

 ほんとうにお伝えしたいことだけをお話してまいりました。


胸はいっぱいであってもお話したい言葉だけを選ぶことができたのは、日々の瞑想や呼吸法のお蔭です。



そして、お寺の奥にある幼稚園の手前の和やかなお庭に、和尚のお墓がありました。


お墓で目を閉じると目の前にまあるい赤い輪っか、その縁に同じ色の花びらの形。


向日葵のような形の赤い曼荼羅が拡がりました。


しばらくお話するといつもの和尚の笑顔。


和尚、もう痛いこともしんどいことも、きついこともなあんにもしないで、

たくさんのべっぴんさんに囲まれて般若湯と美味しいお料理を存分に召し上がれ


と申し上げると

ますます眉根をお下げになられ、またあの笑顔を手向けてくださるのでした。


いろはにほへとちりぬるを


ありがとうございます。

🙏


この、ヨーガ観音さまの前に立つとお腹ポンポン。

丹田がポンポコリンになりました。


辺り一面

ええ氣に満ちておりました。


令子さん、ありがとうございます。




素晴らしいいち日、ありがとうございました

認知の歪み


 櫻、櫻、櫻、今年も変わらず、現世の果てまで櫻はちやほやされるのでしょう。

国花であり、形(なり)も大きく派手で華やかな櫻。


15年ほど前、観光客が櫻の花にカメラを向けていたその下でたんぽぽが踏まれていました。

秋も冬も同じく、櫻は静かに花を内包している最中、その頃の櫻を見に来るひとは、まあいない。


40年近く前、仲間と飯盒炊飯に行った先で、80を超えた男性が急に怒り出したことがある。

「何が櫻の下で飯食ったら美味いだ!」

突然のこと、皆一応に驚いたが、その後のお話でわたし達とは違う内景で苦しんでおられたことを知る。


戦時、友が櫻の木の下で朽ち果てていく姿、水溜りの水で飯を炊いたことなどを切々と独り言のように呟くその方の目が、

深い深い湖のような緑苔の色になっていったことが鮮明に蘇る。


また、橋を渡った母の入退院もこの櫻の頃だった。

退院する日のタクシーの中、洗面器の中のプラスチックのコップがカーブするたびにカラカラ鳴って、

隣で痛い痛いという母の脇腹にあるピンポン玉くらいの塊を摩っていた。


天氣のいい日にお花見しようねと、多分無理だとわかっていながら、その場凌ぎに言ったものだった。


花が散った頃、母は橋を渡る。

それももう12年も前の話。


また30年も前、あの川沿いの櫻の下を通ると涙が出ると、ある照明さんが呟くその言葉は、記憶によるものではなく、生命に歓喜する震えなのだけれど、

わたし自身も、川沿いの櫻のトンネルから空と満開を見上げると、五感を備えられここへ招待された歓びの満足に満ちている。


その傍ら、過去も凝縮されここにあり、ぎゅうっと閉じ込められている。

飯盒炊飯を共にしたその時80越えの方や仲間、その時のわたしや空や櫻や土や石、踏まれたたんぽぽや踏んだ観光客やカメラ、

何もかもが同時にある。


櫻だけがちやほやされる


どうしてこう感じるのか、

初孫であったわたしは周りの大人たちに人形でも可愛がるように可愛がってもらった。

で、それは一瞬だった。

いとこが間も無く生まれ、トンビがパンでも攫うように、大人たちの興味や可愛がる心はいとこに移った。


学業での優劣、形の美醜、親の力の優劣‥。


そんなことから受け取る虚しさが、わたしの認知を歪ませてきた。


櫻は櫻、樹液が完全なる計らいによって櫻の花と開いていく。

香り、色、形、息吹、全てが櫻となって。



櫻は櫻。