プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

使命

今日は久々にあわのうたのシャワーを浴び、


(毎日あわのうたの言霊は唱えています)


とても落ち着き、魂がまんまるになりました。


そげ落とすとパワー全開、自分の元々の使命に戻る落ち着く場所に辿り着きます。


そげ落とす

シンプルになる

断、 捨、 離


今、一番キツイのは子どもに対する愛情。


娘に会いたくなり、息子に会いたくなること。


今の状況で仕事は激減しましたが、繋げられる工夫で繋がることもできました。


Zoomでクラスを提供することです。


ですが、子ども達はいなくなり、自分達の道を歩んでいます。


わたしにとって最もキツイ、

子ども達全員と離れるときがやって来たのです。


昨年に。


わたしのキモチをわかってか、

一番大事にしてきた娘が口をきいてくれなくなってから、


「子どもを育てるようになったら、お母さんのことわからはるよ」


と柔らかい言葉で包んでくださるひとが多い中。


姫路に住む川柳作家さんは、

(わたしの舞台衣装をずっと創ってくださっていた)


「今、一番いい状態になりましたね」


と頂いたお手紙に綴ってありました。


それからというもの、なんだか目が覚めました。


そうか、ご縁を作り子どもを授かり、躍起になって子どもを育ててきたけど、


その役目は終わり、今からは自分の使命を果たしていくということなんだと。


永遠に子ども達はわたしの子ども達で、永遠に愛は続くのですが、

もうわたしから手が離れたのだから、わたしが執着してどうするんだと。


ワーカーホリックという言葉がありますが、

ワーカーホリックは卒業しましたが、子どもホリックだったんですね。


子どもを育てる、世話をするのが生き甲斐になっていた。


でも、それではわたしという個が持つ使命は果たせません。


身を切るような想い、胃にナイフが刺さっているような想い


これは母という情念なんだと思います。


そういえば、自分の物はポンポン手放せたのに、娘や息子の物、思い出の物は手放せなかったのです。


子ども達と暮らした過去にしがみつく。


もちろん、子どもの物は勝手に捨てられませんが、思い出の品は一括にしまい込み、自分の使命に命を燃やす時期になったのですね。


季節が変わった。


子どものためなら睡眠時間3時間で何年も働けたし、なんだってやってきた。


今からは母としての使命から、関わるすべてのひとへと拡がっていく。


川柳作家さんからのメッセージが、あわのうたのシャワーを浴びたことで、しっかり自分にしまい込まれました。


仕事が限りなくなくなり、出かける機会も極端に減り、家で籠もることでしんどいけれど視えたことがありました。