プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

来たあ〜


来たあ〜


夕方に少し疲れて仮眠。


起きたら日が暮れていて、ひとりだけ取り残されたような

なんともいたたまれない寂しさに襲われました。


朝日をたっぷり浴び、犬と戯れ、スーリアナマスカーラで感謝を現し、


恵みに満たされていることはわかっているのに、


大きな穴がぽっかり空いたままのような感じです。


もう、両親ともかなり前に亡くしているし、親恋しの歳ではないのですが。


(ボタンの掛け違いのような親子関係でした)


この感じは

親に寝かしつけられ、安心して眠りに付いたのに目を醒ますと誰もいない畳の部屋に、ひとり置き去りにされていた、あの幼少期の記憶のようなものが鮮明にやってくるんです。


小さな頃、そんなことはあったと思います、

またわたしも子どもを育てた経験があるから、寝かしつけてその場を離れたからといって、子どもがどうでもいいわけではありません。


やらなければならないことや事情があって、その場を離れたんだとわかってはいます。


けれどそんなこととは関わりなく、自ずと込み上げてくる孤独感、寂しさ、虚しさ。

裏切られたような失望感。


この感情から、わたしの中にまだ癒されていない子どもがいるのだと教えてもらいました。


それからはとにかく冷蔵庫の中のものをむしゃむしゃ咀嚼してからだに放り込み、母や父の面影を追っていました。


まるで乳飲み子ですね。


底無しに貪りそうでからだが可哀想だから、

食べるのはもうやめて、学びの復習をして氣を変えていきます。


年齢には関係のないこの思慕の念


誰しもある思いなのかもしれません。





今日の朝日はサットヴァに溢れ

寒風で痛くなった背中を温めてくれました。


ありがとうございます✨