上を向いて
ポンポコ山のたぬきさん、
おっぱい飲んでねんねして〜
抱っこしておんぶしてまた明日〜
腕の中で眠ってしまいました。
猟犬さんも抱っこは緩むようで、あっという間に寝息をたてています。😆
朝のお散歩でクンクンクンクン、掃除機みたいに地面に鼻を擦り付けて
クンクンクンクン
猫りんの匂いを追っています。
わたしの目前には、その塀の上で見下ろす三毛猫さんの姿がはっきり見えるんですが。😂
下向いてクンクンでは頭上に見下ろす猫りんは見えませぬ。
仕方ないですよね。
嗅覚で追うわんこさんには視覚は今はおやすみです。
こちらが立てばこちらが立たず
みたいに五感をすべて開くって瞬時瞬時その掴まった感覚にのぼせていると、他が見えにくくなる。
フルに五感を感じながらもドが立ち上がるとレは聞こえなくなり、
レが立ち上がるとドが小さくなり。
その点点点を、深呼吸すると五感のハーモニーが訴えかけてきます。
というわけで、
上を向いていたら猫りんが見えたのに‥。
(ΦωΦ) U^ェ^U
上を向いて歩こう
という歌がありました。
上を向ういて歩こおおう、涙が溢れえないよううに
異議あり!
涙ポロポロ溢したもん勝ちですよ。
長い間泣けなかった時を経て、やっと時が塊になった感情を溶解させ、解放してゆくときに涙が溢れ出します。
小さい時のように泣けなくなった人間が、子どものように泣きじゃくれたあとには
虹があがっています。
胸のつかえがひとつ解き放たれる。
わたしは、
やまない雨はない
という言葉は好きではありません。
その言葉には手垢が付き過ぎていて、それをその人が誰かを勇氣付けるために誰かの言葉を借りて言ったのだとわかるからです。
なんか、切り札みたいで胡散臭いです。
勇氣付けようとする想いとかけ離れたひとの借り物の言葉。
きれいに纏まりすぎ、そこには四苦八苦がなく、呻きがなく、到底寄り添っているとは思わないからです。
稚拙でわけわからなくなっていても、なんとかありのままを、ありったけの自分の言葉で伝えようとする。
そこに、このひとは寄り添ってくれている、時間を共有してくれていると感じるからです。
お空を見て、胸を上げて歩く
それで、たくさん涙は溢せばいい。
出てくる涙は浄化のエネルギー💦
ありがたいことです。
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