プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

タイトル、ラベル、肩書……。


有線を聴いていて、毎日きままにチャンネルを変えていますが、


この曲いい!


と思ったとき、有線の今流れているタイトルや、アーティストを見てメモします。


その曲から受けた感じとタイトルが

なるほど✨

と納得するものが多いです。


そのとき、作者は

そうか、そういう氣もちで創ったんだということを知ります。


これは、はじめに曲を体験しているから、文字による、洗脳や導きはありません。


昔、現国の時間に、タイトルを伏せて、本文から読んでいて、先生に


タイトルから読みなさい


と言われましたが、文から読みたかった理由を述べました。


返答は覚えていません。


逆に、RAN・DMC のグリグリのエレキを聞いたときに、


これはロックだと錯覚し、なんでブラックミュージックしかならさないお店でこれが流れるのか


疑問に思いましたが、すぐにエレキギター=ロック🎸♪♫

という条件反射的な枠を自分が持っていたことに苦笑しました。


レッテル、ラベルに弱いわたし達、先入観は記憶や知識から来るから、

今ここ、自分の感性で選びたい。



自分の感性で選ぶのは、自分の感覚を信頼して肯定すること。


🍡🍵

あんこ餅などは、どこどこのありがたいお餅も美味しいですが、

小さいときに、お餅つきで食べたあんころ餅の美味しさは懐かしく、やっぱり食べたくなる。


娘が保育園に通う頃、よく肘を脱臼しました。

だらんとなった肘、大病院の若い専門医には入れられず、痛がりましたが、


近くのおじいちゃん院長先生の病院では、ちょちょいのちょい

で治して頂きました。


それから、待ち時間もなく、いつも空いているおじいちゃん病院に何回かお世話になり、娘は大きくなりました。


自分がほんとうに求めているものは、近くに、目の前にあったりします。

また、既に受け取っていたりします。