プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

体重移動からの氣づき


みなさんは、毎日歩いています。


歩く。


少しの距離であれ、長距離であれ、歩いています。



歩くときの足底で行われる体重移動について

今日は取り上げてみます。


全てのクラスで、わたしがみなさんに必ずお話するのは


体重移動のことです。


どちらの足に体重が乗っているといった


大雑把なことではなく、


どちらの足底のどこに体重が今あるか、


歩くときには、

軸足になる足底のどこからどこに体重が移動して行くか、

どこを床に押しどちらに体重が移動して行くのか。



この、意識に上がらないような、

当たり前と思っていることに氣づき、


おのずとやっている自分の歩行を理解して行きます。


生まれて、息をするようになり、

おっぱいや水分を取り、尿や便を出すようになり、


首が座り、寝返りを打つようになり、

ハイハイできるようになり、

つかまり立ちして、ようやく

立つことができるようになりました。


その先に片足立ちに一瞬なれる体幹や軸足を作り、軸足を床に押し、別の足を前に出していくことで、

よろよろと不安定ながらも、歩くことができるようになりました。


その乳児期に誰に教わるでもなく、自分で歩くことまでを学習し


やり遂げてきたプロセスに立ち帰り、もう一度その過程に何を習得してきたかを探っていきます。


乳児期や幼児期は

言語がまだはっきりと確立していないため、


自分が習得してきたプロセスを言語分野で理解しているわけではありません。


言語で理解するには、ある程度の精神の成熟がなければ

客観的に理解し、自分の中に納めておくことはできません。


その中の歩行を観ていきます。


👣 🐾


歩行を例に出すと、前に出した足の足底のやや踵寄りの部分に体重が掛かりその足が次に軸足になるので

だんだん足底真ん中、足底前寄りの横アーチ、次に足指に体重が移動して行くのがわかるでしょうか?


踵とせずに、踵寄りとした理由はまた、別の機会に書きたいと思います。


つまりは

前に出した足で進んでいるわけではなく、

軸足の床押しの力が推進力になり、


(軸足は床をどちらに押していますか?

あえて書きません。

答えはみなさんのからだにあるからです。)



どんどん足が必然的に前に出され、


またその前に出した足が次の軸足になり、


前に前に体重が移動されて行くのが確認できますか?


つまりは足底の体重移動で

上に乗っているからだを押し運んでいるのです。


たかが歩行

(当たり前にできているように見える)


されど歩行


歩行を観ること、

体重移動を観ることは


動的瞑想


ボディフルネス

Body fulness です。


過去から現在、未来を予測する。


過去現在未来を全て瞬時今、観ていく。


観ていきその未来にからだを転がしていくこと。


過去 

踵寄り


現在

足底横アーチ


未来

足指


次の未来

その足は床を蹴り

床から離れ


反対の足の踵寄りが着く


(人によっては、足指まで使えず反対の足がもう着いていたり、

横アーチまで使えず、反対の足が着く人もいます)


どんどんそれを繰り返します。


が、実は毎回微妙に違うところに乗っています。


その、針穴に糸を通すように

正確に同じ足底経路を通れる環境、からだの要因、メンタルの要因があり、


人間はメカニズムではないので、それが毎回微妙に違う。


睡眠不足であったり、無駄な力みがあったり、自律神経が乱れていたり、集中力に欠けていたり、呼吸が乱れていたり、からだのどこかに痛みがあったり、

くよくよしていたり……、

があるだけで、


足底の体重が運ばれる

道筋は変わってしまいます。


そのぶれが生きている証であり、

ぶれを観ていくこと、


ぶれないようにするという作為なく、


スムーズに歩けたときは

ほんとうに清々しいシンプルな精神状態であることに氣づきます。


ぶれないように歩こうとすると更にぶれますよ。


パラドクスです。笑


おのず、歩くことで囚われから解放されていく。


からだは自分の内景が表に現れたものです。


そのシンプルで日常の中にあるもののひとつが歩行です。