プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

サマディ

ヨーガを始める前にサマディについて聴いて来られた方がありました。


わたしなりにサマディを説明しましたが、

説明はなかなか至難の業です。


ただ、三昧の中にいるときは三昧の中にいることさえ、


これがサマディだと悟ったしりから、自我が言葉と共にさらっていきそうだから。


それくらいに、まさにそのもの、そのあり様に限りなく近い状態ということだけをぎりぎり伝えました。


幼い子供はほんとに三昧の連続ですね。


世俗にいても、穢れなきところは侵されていない。


真がある。


年齢を重ねても、三昧は訪れる。