塞翁が馬
金曜に右肋骨を損傷したわたしは
日々変化を観ています。
まず、トイレで踏ん張れません。😅
重いものは持つとズシ~ンと来ます。
走れません。振動する度毎、今はやめてねえ~みたいな注意喚起の声を肋骨さんからいただきます。
腹圧がかかるくしゃみや咳
右手をついて起き上がるとか反るとか体側を伸ばすとか
今はやってはいけないサインが点滅します。
当然、好きなようにはできません。
どうしたら少しでも負担をかけないで起き上がるかとか、からだを伸ばすかとか毎瞬学びです。
また伸びるのは、ほんとうなのか、とかも問いかけたりします。
なんで伸びるん?と訊いたら、わかったこともありました。
ありがたいことに、
ああ、この右の肋骨下部がどの動作でどの角度でどのタイミングで働くのか、
どれくらいでもう受け留められなくなるのか、
動く度に息する度に学んでいます。
いくら分厚い解剖学の本を暗記して理解しても、わがからだでわかるのとは違います。
そういうことの積み重ねが指導していくときに、受講者の方にどのように声かけしたり、どういう経路でそのフォームまで行くか?軽減の動きでそれでも可能にしていけるかという広がりと実現に生かされてきます。
また、踊りはどれだけ高く跳ぶかとか、どれだけ正確に回るかとか、どれだけ尖った技量を持っているかではなく、
肉體という目に視えるものだけでなく、その周りにある空氣感や踊り手の精神性や魂の段階やそのときの有り様、目撃する側の要素など、
すべてを纏いすべてを放っているものです。
自由が効かない體は自由が効かないことによる自由を得ることができます。
つまりは自由な體は、不自由な虚ろさを持つ、それはたぶん、出現に拮抗する原動力が現時点で持ち合わせている力が多いという、希薄さなんだということかもしれません。
なにかが予定通りでなかったときこそ、自身の軽さが問われます。
(弱々しく武装して雁字搦めになっているか、あっけらかんと軽いかです)
そして、長年どうしたら鳩尾の力みが抜けるの?
という課題がブレークスルーするきっかけになっています。
Omチャンティングも安座で座ってやると短く、喉が閉まってきます。
ところが、痛みのない状態で発声したり、プラーナヤーマをしていこうと新たな回路を模索するので、自ずと鳩尾を緩めることを覚え、それが喉まで影響しているようで、発声のときやプラーナヤーマのときの力みが格段になくなり、楽に通るようになったのです。
一寸先は光
一寸先は闇
こちらの世界はすべて二極性である
善悪や陰陽、男女、生死、正解不正解、快不快、如意不如意など
二極というのは真実ではなく
くるくるくるくる回ってすべてよしの方へよしの方へ溶け込んで流れ着くのだと、安心しています。
ありがとうございます🥰🙏✨
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