巫女さんか神さま仕事している鯉
いつだったか、ふとお社の川にいた白い鯉。
頭だけが赤く
一匹なんです。
さあっと辺り一面清廉な氣に満ちてくる、
清らかさに包まれました。
前はきっとこちらでお勤めなさっていたか、はたまたこちらをお守りくださる存在なのかもしれません。
目に見える形で出遭うとドキドキします。
これも體があるうちの特質です。
最近はやれ実る米が福福で安心したり、
ミミズやヤスデにびびったり、
ハラハラニンマリ過ごしてはいても、発信する必要を感じなくなってきました。
それを読んで誰か喜んでくださるひとでもいるんか?
とか
日々感じていることを発信するのは何でや?
とか、思っているうちに、内側から出てくる言葉を呑み込むようになりました。
呑み込むもよし
アウトプットするもよし
✨✨言葉出していくと出てくるなあ😅
あっ、コスモスがどんどん咲いてます。
小学校の担任の先生を思い出しました。
先生に、
「先生、四季の中でどの季節が好きなん?」
と聞いたら
しばらく考え、
「それぞれの季節がみんな好きやなあ」
と言われ、わたしの目論見である、
先生はこの季節が好きだったと記憶したいきもちを果たすことができませんでした。
過去のわたしは、そんな小さな頃から未来を創ろうとしていました。
きっとそうであってほしい、そう仕舞い込みたいという目論見。
よく、過去には戻れず、未来にも行けないと言われます。
それは真実ではありますが、
過去も未来も今に凝縮されています。
目を閉じると、右側のビジョンが左に流れてきてわたしの目の奥に入って行きます。
それがずうっと続き、
流れの時間軸を観ています。
刻々と変化を観ていますが、わたしの中では変化は止まって観えています。
だから過去も未来も今もここに観えています。
時間軸を人間は脳の中で右を未来、
左を過去という座標に置いて観ているのだと思います。
未来がわたしの方に入ってくる。
頭が奥に奥に拡がるわたしだけの宇宙です。
そこには、外側の痛みや快適さや心地よさや不快感もなにもなく、
ただ拡がりと、観ている点だけを確認します。
2021年9月17日の夕刻
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