綿の下着
ヒートテックにかぶれ、綿のシャツに変えました。
綿のシャツを久しぶりに身につけました。
正月に新しい下着を着るようにと、母親が用意してくれた、まっさらの下着を身に付けたときの心地よさを思い出しました。
かぶれるのは、きぶんがよいものではありません。
ですが、化学繊維を直接肌に付けて、なにも感じない感性ではなく、
化学物質に違和感を感じてアレルギー反応を起こす自分のからだのセンサーに感謝します。
どんなものを付けてもなんの違和感もない、
なんの反応もしないって
逆に言えば、不快を不快と感じるセンサーがないのだから、
それこそ、違和感は遅れれば遅れるほど、取り返しの付かないことになりそうです。
99個の違和感が100個になれば大病を作り出してしまう。
1個、2個、のときなら早い対処もできると思うのです。
ちょうど、温暖化する前に環境を考えるというような。
不快を不快ですと、きちんと湿疹を起こしてくれたからださんに感謝です。
綿のシャツ、からだにピタッとくるわけでも、お洒落な柄や色もなく、ひたすらシンプルですが、ほんとに心地よい。
さて、
自粛ムード一色の昨今、
視覚からの情報がますます優先で、
溢れかえっています。
視覚が酷使され、目は疲労困憊しています。
健やかに生きるには、自分に備わるからだや勘、第六感まで含めて、全体の感覚が生き生きとしていることが大切です。
毎日生きた心地がするのは、もふもふの温かなわんこを触るとき。
外氣の匂いや肌に触れる風の感覚に冷たさや温かさを感じるとき。
おひさまがからだをポカポカに温めてくれるとき。
温かい飲み物、冷たい飲み物や食べ物が喉を通るとき。
おふとんや毛布のふかふかしたぬくもり。
木の床の受け留めるような温もり。
目の前にいるひとの表情にやわらかさを感じるとき。
シャツのように、肌に触れるものの心地よさは体感覚で感じます。
ひとに触れない、会わない昨今、
からだが生き生きとした全体性を保つことは、まず心地よい、不快をより分けることだと思い出させてもらいました。
アレルギー反応さん、ありがとう🌱
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