プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

お墓参り


 11日にお墓参りを果たした。

いつもは大概お参りはわたしだけの墓地で、お盆の季節柄、花を持参し掃除道具を揃えたひとと何度となく挨拶を交わした。


不思議なことに前々回、長男が供えたビールがやけに軽い。


その横には半年前に供えた違う銘柄のビールがあるが、比べてみても、確実に軽い。


よくよく見るとほぼ空っぽになっていた。


が、どこにも開けた形跡はなく、逆さにしても残りの僅かなビールは出てこなかった。


密閉されたビールを開けずに飲めるなんて

ミスターマリックくらい。

(古い人間で次世代の有名なマジシャンなど知らない)


開かないビールは、アルコールに浸った父が飲んだのかもしれない。


お墓に行くといろんなことがある。


先日はうちの墓の左対角線上のお墓にひとが動いている氣配があり、ああ、掃除に来られたのかな?

挨拶しようと歩いて行くと消えた。


この時期は黒いとんぼ蝶や黒アゲハ、カマキリにバッタ、カエルにヤモリ。


ご先祖さまはお姿を変えて会いに来てくださっている。


そのたび、もう、祖母にも祖父にも両親にも無二のパートナーである柴犬、早くに亡くなった友達にも繋がっているし、会いに来てくれているんだと、胸が熱くなる。


時は動くし、すべては移り変わるけれど、わたしの中で、愛しい柴犬パートナーも、会いたさと痛みを両方感じる祖父や祖母、両親や親戚、友達も、永遠に生きている。