プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

今日一番しあわせだったこと


わたしは、土が周りにある住まいというのにこだわっていました。


コンクリートで固めて、合理的にしたくはなかった。


だから草が生えるし、虫もいるけれど、ぐるり土に囲まれた今の家があります。



今日は草引きをしました。

通路に南天が伸びて通りにくいから、伸びた南天を切りクローバーやタンポポや正体不明の草たちを引きました。


どんどん通路がすっきりしてきて、風通しが良く、やったあ!って感じです。


土に触れ草引きが始まると、なんにも考えがなくなります。


思考が止まり、ただただ土に埋まった草の根っこを引いていく、満たされたひととき。


どんな設えたヒーリングやどんな設えた空間よりも、なんにも設えがないただの草引きで、どんどん元氣を取り戻していくのがわかりました。


そこには意図や言葉がありません。


大袈裟になにもする必要などないし、なにも表現したり伝える必要はありません。


わたしが、わたしという鎧を下ろして、草を引くそのものになって、土や引かれる草とおんなじところにいたことがとても嬉しいです。



エッセイの先生や心斎橋大学の先生方からは、言葉をひねることを教わりました。


嬉しいを、別のセンスの良い、あるいは知的な言葉に置き換えることを。


でも、嬉しいんだから仕方ない。


もっと上等に見えるようにお化粧して、同意語を捻り出すということそのものが、その時のわたしのこころとはかけ離れています。

いくら振り返っても何重にもなった大人のこころではなかったので、大人のひとの言葉は出てこないのです。




嬉しいそのものだったひと時。


ジャンプジャンプするこころ、しゃがみ込んで痛くなった股関節。


どんなにからだが痛くなって、自由が利かなくなっても、こころの中にいるわたしはきっとずうっとジャンプジャンプ、歓喜しています。