井戸から汲み上げたもの
昨日の夜、夢を見ました。
瞑想仲間のひとりが高い壁を登ろうとするわたしのお尻を
おいしょ、おいしょと上げてくれるのです。
とてもわたしの短い足では壁の上までよじ登れそうになくて、とりあえず手を壁の上に引っ掛けるには引っ掛けたのですが、
からだが重くてなかなか手のところまで足が上がらない。
その重いお尻を押してくれる夢。
朝起きてさっそく夢のメッセージを無駄にしまいと、ビーグルさんの散歩のあと久しぶりに長あい瞑想をしました。
瞑想仲間がお尻を押してくれたから、どっぷり瞑想したら?
というメッセージだと受け取ったからです。
出勤する日は短めの20分瞑想を朝晩でしたから、今日はたっぷりと出るギリギリの時間まで無制限に入りました。
踊りというのがからだの内景に梯子を降ろしていくことなら、
瞑想は自分の内景に梯子を降ろしていくことです。
喉が乾いていたロバが砂漠で探しあてた湧き水に出遭ったように、こくこくとたっぷりと至福を頂きました。
水は飲めばなくなりますが、内側にある至福の泉は汲めども汲めども枯れることはありません。
至福の泉はわたしそのものですから、枯れるわけがありません。
たっぷりと潤い、満たされてまた目に見えるこの世界に戻りました。
不必要な不快な緊張がストンと落ちました。
受け取ったメッセージは
✨期待を捨てよ
でした。
これだけはどうしてもと、ゲットしたい何かを期待すると、そこに囚われ、制限がかかります。
【傷だらけの天使】
のShogunの歌のように、
運が悪けりゃ死ねだけさ
死ぬだ〜け〜さ〜
とまでいくのは困りますが、恐れずにとことんやればいい。
どうしてもここまでは、なんてもう思わなくていい。
ただ、とことんやる、その体験をこの世にしに来ているから、あとは天に任せた身でいればよい。
結果を怖れずに
伸び伸びやんなはれ!
とメッセージを頂きました。
瞑想のあとは、お茶碗を洗うことさえ愛しくて、ああ、やっぱり日々内側に入ることが、垢落し、曇鏡を磨くことなのだと思いました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。