プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

ひとは助け合うようにできている


朝から龍運が綺麗に出ていました。

頭から尻尾の流れにしばらく見惚れていました。


🐲☁☁☁


昨日は視覚障がい者施設の、あんま実習のお世話になったことを書きました。


クラスでも2人ペアでからだほぐしをしたり、よりよくからだが伸びるように相手の体重や抵抗を使うワークをします。


セルフほぐしも、もちろん素晴らしい効果がありますが、手が回らない背面側は自分ではできませんし、またからだが柔らかくてできても、背面をほぐすのは一苦労します。


それで、マッサージ業やアロマヒーリング、靈氣、リフレクソロジー、楽健法などいろんな施術業が成り立つのですが、


背面を手のひらで摺り降ろしてあげるだけで、みなさんほんとにスッキリした!

からだが軽くなった!

と言っておられます。


わたしはリフレクソロジーをするのですが、自分では足底に適切に丁寧にアプローチすることはできません。


やはりリフレクソロジーをする人がいて、やってもらう側は緩んでいきます。


人間が背中側や足底に手が回らないというのは、


もともと、ひとは助け合うようにできているからだと思います。


人ひとりひとりの得意不得意という個性、コントラストがあるから、餅は餅屋で助け合い共存できる。


自分とは違う特質を持つ人に感謝できる。


かつて、母親がお腹を擦ってくれると痛みが薄らいだのと同じように、

ひとの手からは大きな愛の波動が出ているので、自分はもちろん、周りのひとに手をかざしてあげたとき、自分の魂が悦びを感じます。


しかし、手をかざしたひとが治したのではありません。


あくまでも宇宙の遥かなエネルギーと相手のからだへの繋がりが、手をかざしたきっかけで強くなっただけです。


自分で治っていくのを促進するのですね。


あまりに家族に時間を取られ、常に自分は後回しというのもキツイですが、


自分のこととなるとエネルギーが少ししか、湧いてこない。

やっぱり、ひとに役立つと思うことをやるときには、俄然エネルギーが湧いてきます。


エネルギーの源は、愛や感謝なのだと思います。