プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

ペットボトル



日曜日、地蔵盆のお茶をいただきました。

写真ではわかりにくいのですが、

親亀子亀孫亀の模様が。


ラベルには裏におみくじあり〼


とあり、ラベルをめくると


打ち出の小槌 目出鯛 福袋

おみくじというより正月の縁起物みたいな。


ペットボトルには更に


達磨さんと、



招き猫さん


達磨さん

もともとはインドの達磨大師がモデルでしたが、江戸時代からは目標達成や成功を祈願することを目入れに表してきました。


成功や目標達成と

しあわせを感じるということは違います。


自己顕示欲や、他者評価はしあわせとは質がまったく違う。


本願と手段を間違えながら歩いてきてはいてもその中に無数の花を観てきたし、それそのものもひっくるめ懐に入ってゆくのだと思う。


もしかしたら手段はなんでもよいのかもしれない。


そんな小さなことを超えているように感じる。


ふあわっと果てしないことを考えながら、帰宅した。


そんなこととは関わりなく、ペットボトルは可愛らしい。


朝が開け、洗われたペットボトルはうちの台所で微笑んでいる。