声は正直
お電話による鑑定をしていますと、電話口の方の状態が手に取るように視えてきます。
自信なくしておられる人は声が小さくハリがありません。
丹田に力が漲っていないのです。
また、不安になっておられるときも、声に曇りを感じます。
迷いに入っておられるときは、声にブレを感じますから、ストレートに伝わる声ではなくなんか変化球が、届かないような感じです。
はじめはしょぼしょぼと話しておられた方の声がだんだん光を放ち、
まるで雨の岩戸が開いたような明るさが時々差し込むとき、
もう大丈夫だ!
と思います。
電話を切る寸前など、にこにこと俄然元氣になられたときは、
やったあ!
嬉しい瞬間です。
しかし、人は毎日揺れます。
ぶれます。
ぶれこそ、人間らしさかもわかりません。
でも、少しでも早く本道に戻ればよいのです。
いつだってぶれるけど、いつだってすぐに戻れます。
ぶれがなければ、今スッキリしていい感じということもわからない。
対比によって感覚的にわかるのですから。
だんだん、ぶれを観ていられておろおろしないで、すぐに戻れる力は付きます。
それもトレーニングです。
いっぱいぶれてかなりキツイ想いをしてきて、ぼろぼろにならないと
本道も観えてこないと思います。
人に届く、通りのよい声のときは
エネルギーの通りもスムーズです。
今からお風呂場であわのうたを祝ります。
自分が奏でた声の反響を楽しみます。
踊りや肉体活動と、歌や話や音楽との違いは何かわかりますか?
肉体活動は消えてゆくもの、ビデオ録画でもしなければ、決して自分を見ることはできません。
しかし、声を出す、音を奏でる
は、自分の出した音、奏でた音をすぐ後から聞くことができることです。
だから、自分の声は体調や精神の鏡みたいなものです。
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