プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

遭いに行く


久しぶりにエイブル・アートを味わった。


このギャラリーに来るとわたしの目がキラキラしてくる。


巧く作ろうというものはなにひとつなく、あるがまま、素朴で力強くこちらに迫ってくる。


足で踏んで踏んで土から粘土を作り、何やら野外で作品を作る体験をしたことがある。


この、作品みたいにただ団子を無数に作り貼り付けて固めたり、道祖神みたいなものばかり創っていた。


隣ではみなさん、皿とかカップとか花瓶とか用途を決めて目標に進む過程にあった。


あのとき、わたしがやはり少数派なんだと確信した。


土を踏み、にちゃにちゃにゅるにゅるぶんたったと粘土をこねて形にするとき、皿とかカップとか実用的なものは一度も思い浮かばず、ただ丸めてくっつけて壊して、


長くして蛇にして巻きつけて。


どうみても縄文で、自分のやっていることに終わりが見えなくて、時間を切られるから、仕方なく、適当につまらない形に留めた。


形に留めることは、なんてつまらないんだろうと、なぜか思っていっきにつまらなくなった。


そのときのワクワクがエイブル・アートにはある。


仲間だ。