プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

変容


もう、35年以上も前、以前のスタジオ経営者がわたしに話してくださったことがある。


「ホテルのバーテンダーに教わったことなんだけど、グラスを磨くときに、卵の殻をいれて洗うとピカピカになるらしいよ」


上司は、グラスであれ、ひとであれ、厳しい体験が無ければ、磨かれないということを伝えようとしていた。


いろんな体験があなたを磨いて行くんだと。


順風満帆では磨かれない。


グラスにとって卵の小さな破片は、いちいち引っかかる障害物なのだ。


プールで運動指導をしたり、陸のスタジオで指導するときも、


プールなら水圧をからだに当てて、その負荷でからだを作りましょうと言ってきた。


また、陸なら空氣を押すように、空氣を集めるように、常に空氣中で動いていることを意識に置いて、手や足の長さや重さや空氣圧を負荷にしてからだを培いましょうと、声をかけてきた。


からだを培うときも精神を培うときも共通するものがある。


星一徹が飛雄馬の腰にタイヤをぶら下げ走らせたのも、全て負荷をかけ、飛雄馬を強くするための手段だった。


こころも、もがく中で変容の準備をする。


我慢強くそこに居続ける間に、変容の準備が整っていく。


変容しなければ生きていけないから変容する。


蝶が蛹から羽ばたいて行くように、動けなくなり圧迫感の連続の果てに蝶として飛びたつ。


赤子も、母の子宮が窮屈で生きていけなくなって、あのやわらかで温かい楽園を後に押し出され、おぎゃあと泣く。


依存し守られ、一体だった母から切り離され、ひとりの人間としての旅が始まる。


怪我をしても瘡蓋が外れないときはまだ、皮膚の下は工事中。🚧


工事終了、外的衝撃に耐えられる、自立していられるようになれば、シートは剥がされる。


準備が整えば、蛹から蝶へ。


🦋🦋🦋🦋🦋🦋🦋🦋✨


昨日のボイジャータロットのキーワードがわたしを動かした。


準備してきたがまだ出られなかった囚われから、出ようとするエネルギーが加速してきた。


子どもが自立し、わたしはわたしの課題に向かうときが来た。


🍚🥢🥗🍲🍛🥫🥣🍜🍤


昨夜、次男からラインが来た


もう女性と住み、出ていったのだが。


「明日行っていい?おかんのご飯食べたい」

と甘えたメッセージ。


豚もおだてりゃ木に登る

甘えてくれば、よしよおし

頼られれば、わたしに出来ることでしたら

と調子もんのわたしは、すき焼き肉を買い込んで朝からルンルンしていた。


甘え上手な次男のこと、ほんとにわたしのご飯が食べたいのかは定かではないが、追求せず単純に喜んで。


他愛もない話をして、ひととき

食べてくれるひとがいると作り甲斐もある。


ぐつぐつと、これから鍋の季節だ。🍲