プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

繁華街

ある方のおうちにゆくために繁華街を歩きました。


家近くのお社は静かですが、繁華街はそこそこのひとが往来で賑わっています。


アーケードの中、

娘と歩いた道、

娘と入ったお店、

もう閉店してしまって様変わりしている店もありました。


いずれにせよ、未だにそこいらを歩くと胸が痛みます。



子ども達はみな自立し巣立ちました。


そこで、老夫婦であれば、あれこれ話しながらお菓子でもいただく三ヶ日です。

 

🍵🍘


親というのは永遠に親。


両親はわたくしを置いて彼岸を渡って行きましたが、わたしは充分なお返ししてはいません。


クリスマスや正月番組はファミリーがよく出てきます。


健全というか家族縁の深いファミリーは、絵に描いたしあわせみたいな情景を見せてくれます。


わたくしには家族はおりましたが、そういった日は短い期間でした。


そして現在は両親を見送ったあと、


どんなに愛しくも共に住めない子ども、


どんなに愛しくも会えない子どものことを想う日々です。


親は永遠に子どもに片思いなのかもしれません。


わたしは今、両親にご恩返しはできないし、

もう子どもになにも与えることはできないのだけど、


なにかできないのか?


と鑑みると、


最後の答えはいつも


あっぱれ生ききること。


それしかありません。


むかし、デパートの地下にレーンに乗って流れるお菓子がありました。


少しずつ、いろんなお菓子が流れてきます。


量り売りだから、調子に乗りいろいろ入れすぎるとお菓子を箱買いできるくらいの金額になります。


それでも子どもの頃は、その量り売りのお菓子に、ちょこちょこと食べたいお菓子をカゴに入れていくのが楽しみでした。


チョコレートが掛かったビスケットがさっきは目の前でそのビスケットを入れぬ間にヌガーやら、ゼリーが来て、あらあらと言う間にビスケットはもうあちらの端に行ってしまったような、


見送った親にも巣立った子ども達にも取り残され感が拭えません。


そんな最中の訪問でした。


個人のお宅にあるギャラリーの作品の数々を拝見🎉😃💫。


拝見というより、そのエネルギーと存在に出遭ったような。


ギャラリーの作品はブッチギリで宇宙に突き抜けてはったんですが、また主人である女性のスケールがデカイ!✨


久方ぶりに目が覚めるような方や作品と出遭い、パワーを受け取りました。


また、リーンカーネーション

どんどん流れるお菓子のように

今目の前にあるものしか抱きしめることはできないのだと、

身に沁みてわかる今日この頃です。


30代になったころから、同じようなことを言っていました。


ですが、そういいながら、目の前の今取るべきお菓子を取らずに流した結果を噛みしめていると、


言葉でどんなに悟ったようなこと話ても、実際には身を切るような痛みを受け取らないとわからないのだなと思いました。


まだ、生きています。


終わるまで生きること。


これは唯一今できることではないかと辿り着いています。


アトリエに招いてくださってありがとうございました✨💖