プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

午前3時の地震

昨日は何度か目が覚めた。


冷えているからかトイレ起きもありましたが、朝方の揺れ😐


2階にいろんな家財道具が上がり

細長い本棚などに囲まれて寝ているから、家具の揺れはよくわかった。


電氣を付けるでもなく、余震も感じられないまま、また眠った。


揺れがおさまり、

「だいじょうぶだよ」


とわんこに声をかける。


1月17日のときは、端に寝ている長男に布団を掛け守る本能で咄嗟に被さった。


あのとき、まだ小学生だった彼はもう立派な?2児の父親。


自然はいつも生死というベースを確認させてくれる。


朝の地震が大きくなかったから、また散歩に行け、食事ができた。


これからもいつだって、命はどこで終わるかはわからない。


また、永遠の魂も続いていく。


居るという感覚はすべてが満たされていて、相対界にいるわたしには終わりのない空間の拡がりを感じ、

目の玉が地球の真ん中に吸い込まれるような真空の感覚。


もう、愛しい子供の姿を見ることも、もう、愛しい家族わんこや家族亀に触れたり声をかけることも、友だちの顔を見て微笑むこともできない。


でも、やっとひとつに還る感覚。


居るは居る以外にない。


今、日本の四季は冬、2020年の最後の辺り。