滑走路の苦悩
今から30年くらい前、
芸術祭典で
京都市内や滋賀県、各神社で創作した巫女舞を奉納した。
上賀茂神社
下鴨神社
八坂神社
松尾大社
白峰神社
奥津嶋神社
油日神社?
はっきり思い出せない。
このときも、ひとりとても悩んだ。
ただ、一心に神に献舞するのだけれど、
この祭典には多くのお客さまが見に来られる。
わたしはどういう面持ちで、舞に勤めたらよいのか?
今は鬼籍に入られた、
お世話になった舞台照明家、船坂氏に、この悩みを話したことがある。
極めて秘儀である巫女舞を、みなさんが見てくださっていることに
こころの整理がつかないのだと。
見てくださるみなさまひとりひとりの魂は神の分御霊(わけみたま)
であるから、
そのおひとりおひとりの御霊さまに舞えばよいのだけれど、
世俗的な楽しみを探して来られているような場で、サービス精神は削げ落とした舞、
期待に応えられないのをわかっているし、
ひとの目があることで舞の質が変わる。
自分の在り方がはっきりできなかった。
✨ ✨ ✨ ✨ ✨
これは量子力学的にも説明がつく。
観察効果というのがあって、
今ここの、ひとの実眼でなかったとしても、
そこにカメラを設置するだけで、物質は変容してしまう。
わたしが変容していくのがわかる。
いかにわかって貰おうと説明したり、パフォーマンスにならない心理であれ、
そんな作為無作為に関わりなく
他者が関わることで変わるもの。
これは、精神論のようなものではなく、明らかに変わることをただ受け入れるか否か。
(今なら、その変容さえ受け入れたらいいのだと思うが)
船坂さんはやはり大きく優しかった。
「あんなあ、〇○〇、
神さまに〇〇○が舞を舞っているところを、お客さんがこっそりと見ていると思たらいい」
(〇〇○に入るのはわたしの舞手としての名前)
この船坂氏の言葉で救われ、なんとか舞に向かい通すことができた。
「船坂さん、今も天国で相変わらず、舞台の鬼になって日々灯りを触られているでしょうか」
わたしは今でも、ひとつの公演の前、かなり消耗してしまう。
自分の内声を感じ過ぎるし、考え過ぎるから。
また、昔のように疑いもせず、求められる踊り手をひたすら目指すこともなくなった。
もう、踊り手として求めてくださる方はいない、
すべて自分がやるかやらないか、
どうするのか、
まるごと自分の選択。
燃えてきた動機はもしかしたら、期待に応えたい
だったのかもしれない。
かつて、母の言うようになにひとつ疑わずにがむしゃらに進み、母が引いてくれたレールからあえて脱線した後のあの無力感。
自由の虚しさ。
ひとの情熱はひとのために燃えるのだと思う。
それでも、まだあなたには踊るものがあるはず。
いつもひとには
自分の可能性を信じて!
こころを開いて!
と言っているのに
わたし自身のこころに
重石がある。
今しばらく明けるのを待ちます。
ひとがさっさと歩けば5分で済むくらいのことが
わたしには、一日掛かる。
そういうわたしを受け留めます。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。