プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

愛着依存について

娘が音信不通で

胸に穴がぼっかり空いたみたいな状態を


愛着依存というのかもしれない。


だれに依存するか?


やっぱり肉親でしょう。


両親にはいくつもバリアがあり、まっすぐ関係性をむすべなかったから、


両親以外のひとへの愛着になるのでしょう。


でもし、それが微塵もなく理路整然とすっきり生きていたとしたら、


わたしはこの世にいるでしょうか?


踊り、クラス、生活


根こそぎ関わらずに生きていけるわけはない。


愛着依存を使って生きているのかもしれない。


なら、愛着依存を味方にすべく、

分量、質、時間


おらゆる角度から


はまらないように

はまるように


生きる源にすればいい。