おなじ場所
今日は植物園に行き、
友だちと9月に行う公演の
打ち合わせやフライヤーの写真撮りをした。
噴水がある場所
水車が回る辺り
入口付近の子どもの遊具
今はなくなったけど、軽食が食べられた一角。
🌈
虹の橋を渡ってしまった母との思い出や
幼子の思い出が、植物園には残っている。
友だちと歩いた道順も
通る度にタイムスリップしてしまう。
✨
母の思い出
噴水の上に小さな虹が出ていたとき、
「これ、ほんまもんか?」
😅
と母が聞くので、
「天然だよ」
とわたし。
田舎から京都に出てきて、
電話の受け応えする相槌の打ち方さえわからず、
なんかぎこちない返事をしていたな。
母はお人好しでおっとりとした、人慣れしていないひとだった。
遊具の辺りで上の子ども達が遊ぶとき、
下の娘に本を読んでくれたり、
我慢強く待ってくれる
優しいひとだった。
小さな売店があった辺りには親子らしき黒猫がいて、
うどんを食べながら、子どもや母と猫を見ていた。
水車の辺りで子どもとわたしで弁当を広げたとき、
レジャーシートを敷いたわたしの膝の裏から
もぞもぞと出てきたのが、
22年目の家族になる、亀の玄子さん。
🐢
冬眠から出てきたところがわたしの膝の裏でした。
ご縁深き長い付き合い。
盆栽の辺りはああでもないこうでもないと、
一年くらい前に
友だちと小さくて完璧な
盆栽という芸術を眺めたな。
幼子は子を持つまでになり、
わたしは孫からしたら祖母になった。
母は肉体から離れてしまった。
亀さんは、
前は消しゴムくらいの大きさだったが、
今は大人のお弁当箱くらいの大きさになり、
ずっしりと重くなった。
変わらないのは、
亀さんがわたしと仲良くしてくれること。
ご飯くれ!
とばしゃばしゃしたり、さみしいと鳴いたり、
手から美味しそうに海老やパンを食べてくれること。
🐢❤
食堂がなくなり、カフェみたいなスペースに様変わりしたけれど、
大きな木も
バラ園のバラも
噴水も
温室も
出入口も
トイレも
水車も
なにも変わらなくて
なんだか、嬉しかった。
ひとは歳を取り、
住むところさえ変わり、
考えも取り組むことも、
感情も移り変わっていっても
植物園は変わらない。
動かぬ大きな木や
何代続いているのかもわからない花々達の咲く場所も
みんなおなじ。
遊具は少し変わったが、遊具のある場所はおなじ。
なんか母や幼子や最近会わない友だちの記憶が
鮮明に浮かんでくる植物園は、ふる里のようだった。
ここ最近、よく植物園に誘ってくれる友だちのおかげで母や幼子に逢えた。
暑い日が、続いていますが、みなさん熱中症に氣をつけてくださいね。
🍦🍨🍧
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