プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

インビューと本音


鑑定(占い)についてのインタビューを受けることがある。


🎤どんな修行をなさったんですか?


🗿どこどこの鎮魂で

むにゃむにゃむにゃむにゃ……。


特別なひとに観てもらう

凄い!

と唸ってもらい、

人集めができるように企画があるのだから、


インタビュー内容も決まってくる。


一応に経験は話すのだけれど


わたし本人としたら、


いやあ、人間できてないですわ。


自分で決めたことも流れて甘くなること、苦手なことを先送りすること、


まだまだ振り向けば乾いていない傷もある。


特別な経験をしたから、なにかが変わるわけではない。


日々の小さなことに黙々と丁寧に向かえる精神が培われているかどうかが、


ひとのできあがり具合いなのだと思う。


確かに特別な機会から、チャンネルが拓いたり、からだが変わることはあるが、

そこにも下準備期間があり、


そのチャンスを取れるご縁には、目に見えない積み重ねがある。


そのご縁が人生のある時期にあったか、


それを今だと取るか、


体験事態は、

日を経て観れば


そのときに、爆発的な集中力やエネルギーがあったからやり遂げたのだと氣付いても、


まったき、その中にいれば同化し、素直であればスムーズに運ばれ儀式は完了していく。


未だにあの特別な時空を超えた体験は唯一無二で、日常とは違う場にいたのだと思う。


それでもそういった経験があることと、ひとが成熟することとは同じではない。


自宅にいて、仕事という貢献、自己体現が極端に少なくなり


貢献できない

生産性に結びつかない

ひとの喜びを受け取れない


に近付いて行ったとき、

それでも内側に向い、丁寧に掃除したり、丁寧に散歩を楽しんだり、丁寧に洗濯を干したり、丁寧に料理したり


持てる時間を丁寧に過ごすことができることが

素晴らしいことだ。


威張ったり、胸張ったりすることではない日々の家事をこなした母という存在について鑑みる。


インタビュー話からオチが母に行ってしまった。


母が亡くなり9年、今日は命日です。


お墓に好きだった紫の花と、甘いものをお供えに行きます。


みなさん、佳き一日を過ごしてください。