プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

沐浴から湯灌まで


沐浴は浄化、清めの風習です。

禊でもあります。


生まれてすぐ、柔らかなお湯で洗われて、湯灌をしてもらい棺に収まります。


水の恩恵は図りしれません。


作物も木々もわたし達も、水なくして生きてはいけない。


今日もうまく行かない断捨離に奮闘していましたが、まあ、冷蔵庫の上のホコリ


思わず

きゃあ〜!


悲鳴を上げました。


最後は雑巾で拭きましたが、何度も何度も汚れた雑巾を洗うお湯を有り難く感じました。


若い頃、湯沸かし器のないアパートにいたため、冬も水で洗い物をしていました。


油ものなどはなかなか落ちず、洗剤ばかり使うことに後ろめたさがありました。


海を汚すからです。


今はお湯がある。


何度も洗う水の量が氣になり、最後は雑巾を捨てました。


水がなければ、ほんとに汚れは取れません。


トイレも水を撒き、床をゴシゴシ洗うとすっきりします。


水で洗えるトイレなんで、根こそぎ洗えます。


母が亡くなったとき、湯灌を待ち、お化粧をしてもらい、紫の絞りの小紋でお見送りをしましたが、


湯灌をするお仕事に惹かれ、

「今からでも勉強したらできますか?」


葬儀社の方にお聞きしたら、


「体力いりますよ。大変な体力が」


と言われました。


それからもしばらくは、

湯灌やお化粧をするお仕事にまだ惹かれていました。


ひとが生まれるときも、

ひとがひとり死んでゆくときも


神聖です。


ただ違うのは、生まれてくるときは、母親と力を合わせて生まれてくること。


死んでいくときはひとりです。


そんな儀式に立ち会い、なにかができたらと思ったのです。


赤ちゃんはいくら見ていても愛しく、時間を忘れます。


母の静かな姿は

しいん

としていましたが、ものすごい生命力でした。


肉体は遺され冷たくなっていましたが、魂がまるごとむき出しにあるようで、


時が止まっていました。



沐浴で始まり、湯灌でさよなら


毎日お風呂に入ります。


今はその間にいるので、自分でからだを洗います。


みなさんも、うっとりとお湯の柔らかさに抱かれて、一日を愛で、

佳き眠りについてくださいね。


💕(*˘︶˘*).。.:*♡