期待を手放す
運動に来る方は
現世ご利益を求めて来られます。
それは健康であったり
スタイルの改善であったり
ストレスの発散であったり
運動に意味付けをして
来られるわけです。
ですから、ときには
なんの役にたつとか、なんのためにしているのか、なんのためにするのかを伝えます。
しかし、そのものに取り組んでいるときは
無邪氣にただただ楽しむことが、
最もその人が変わる瞬間であると思います。
楽しむというのは、きぶんがよく、笑顔が溢れるようなものもあるし、
からだに向かうから思わず夢中の形相のときもあるし、
ほけえ〜としているときもある。
それすべてが楽しんでいる、様(さま)です。
もちろん、今これはこんなところが働いているなあ
とわかってはいても、
それにとらわれず、何も知らないかのようにただ伸びを感じたり、からだの圧迫感や弛緩
それそのものを無邪氣に楽しむ。
そういった楽しみや尊さが、ひとを洗ってくれ、子どものように輝きだけに還る瞬間だと思います。
これはここに効きます!
なんて話をしてばかりいると
どっちらけ😣
で、ああ、どんどんほんとうにからだを動かすことの醍醐味や味わいから離れて行くな
と感じながら、しかし少しでも
みなさんが活き活きしあわせな、からだでいてほしいので、
また今日も話しているのです。
わかりにくい話かと思いますから
例えば
本を読むと視野が広くなるから読みましょう
と言われて読むのと
好きな本を持ってきて、読みたくてかじりついて読むのとの違いです。
からだを動かす行為も
からだからしたら、
きっと、楽しくて嬉しいからからだ動かしに来た😁
であってほしいのではないかと思うのです。
痛みのあるからだであっても、実は解けたいとからだは思っている。
そういうことは知識の前にオーガニックな感覚として、とても大事なことなんです。
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