絶対世界と相対世界
瞑想に入り満ち足りていること、
瞑想を実際にしなくとも、
内側の完全性に氣づき、
理由なき至福を体験し続けていることは
まずはじめに大切なことだと思います。
渇望からではなく、感謝の泉から枯れない原動力が湧いてくる。
バランスというのは自然に身についてくるのだなと思ったのですが、
内側の満たされた世界に何度も降りて行くと、
とても抽象的に
平和や歓びを広めたいという使命感をみなが持つと思うのですが、
じゃあ、自分に何ができるのか?
という、相対界に今なにが求められているのかが観えていないと、
それは具体的な行動として現れてはこないのです。
その毎日はまさにサットサン
時間に追われて皿を洗うのではなく、丁寧に皿を洗う行為を純粋に楽しむ。
温かい湯船にからだを預ける歓びを味わう。
大根や人参を出し昆布だけで炊いて、甘みを堪能する。
どんどん削げ落とすと、とんでもない恵みに支えられているというのがわかります。
なにもしていないのに、呼吸ができて心臓が動き、食べ物が消化され、動き、好きなところへ行くこともできる。
このパーフェクトなシステムを時と共に頂いている。
あり得ないことです。
ほんとうに感謝します。
その御恩返しが、使命です。
宇宙はとてつもないので、なにが善いとか悪いとかはないから、
ただ目の前に与えられたことにひとつひとつ向かっていく。
そうして時間が終わる。
なにも残らず、なにもかも遺る。
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