プティハッピーの花束

日々の中で取るに足りないような小さなしあわせに氣付くこと

生産性


今日は70代の方とお話していました。


話題はいつまで生きていたいか?

という話になり、


もう、80まではいたくない、なんにもできなくなったら、生きてたくない


とその方はおっしゃる。


わたしは


80になり、もしなにもできなくなっても、食べる楽しみとかありますよ、きっと


と返した。


非生産性、生産性


在宅介護をやっていたとき、寝たきりのおばあちゃんが、孫と息子を繋いでいることがあったり。


(おばあちゃんの安否を、仲がいいとは言えない親子が代わる代わる見ていた)


歩けないおばあちゃんがいるから、娘と母親が結託して力を合わせてケアのやりくりをしていたり。


ときに介護の必要なひとが家族の要になっていることがある。

 

(質は違うけれど、なにもしない犬や猫や鳥がどれだけ愛らしいか❣


動物たちはイノセントだから、憎まれないのだろうか?)



また、父を見送る前、寝たきりに近い父に対して、


なにもできなくてもいいから、生きていてほしいと思った。


実際、両親とも亡くなった後は、物忘れが酷く情緒不安定で、ぽっかりと胸に大きな穴が空いてしまった。


では、わたしが歩くこと、立ち上がることができなくなれば、どうなんだろう。


きっと、それでも、子ども達の顔を見たいし、犬といたいし、桜を愛で、美味しいものを喜んで食べていると思う。


どんなときも必ず、楽しみや嬉しいことはある。


どんなに辛いときも、お腹はきっちり減るし、トイレにも行く。


人間の生存本能は逞しく、感情だけに支配されたりしない。


老いる自分を、あ〜あと言いながらも受け入れて、楽しみをみつけているだろう。


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